昭和後期こどもの歴史研究会

平成時代の社会変化で、その直前の昭和後期こどもの歴史は忘れられています。お金にならないため、企業も投資したがりません。人間の幸福感の問題として、昭和後期のこどもの文化を、現在のこどもたちに伝えていく努力をしたいです。昭和後期のこどもの文化に幸福を感じる現在のこどもを、一人でも育てられたら嬉しいです。

クールジャパンの対象拡大?

先日、東京都の小池百合子知事が、ハロウィーンに合わせてコスプレを行ったそうです。

それが何と、「リボンの騎士」。

私の同僚(女性)が、60歳を過ぎてなお働いているのですが、小池知事と同じ1953年生まれです。

その方は、幼少の頃「勉強をしていたから、漫画など読まなかった」と仰るのですが、懐かしい漫画を強いて挙げるなら「リボンの騎士」だ、と仰っていました。

世代は争えないと思います。

今回、小池知事が「リボンの騎士」でコスプレしたことは、クールジャパンの対象を拡大する可能性があるな、とも感じています。

何も、今風の作品でなくてもいいのです。

東京都が、これを契機に、埋もれた古い作品の「クールジャパンへの推薦事業」でも行ってくれたらいいと思います。

売れそうもない古い作品でも、東京都からクールジャパン認定を受けられれば、再脚光を浴びることになるでしょう。

昭和後期の児童向け実写ドラマ

昭和時代の後期(70~80年代)、児童向けのテレビ番組が数多く放映していました。現在の地上波テレビでは、辛うじて児童向けのアニメ作品は放映されているものの、児童向け実写ドラマは壊滅状態です。ゴールデンタイムに児童ドラマが放映されていたのははるか昔の話のように感じてしまいます。

 

新作が作られない状況では、今のこどもたちに昭和後期の児童向け作品を鑑賞できる接点が必要になってきます。スカパーを契約するか、DVDを購入するか、もしかしたら最近ではネットで鑑賞することも徐々に増えてきてるのかもしれません。

 

こどもが主人公の実写ドラマの金字塔といえば、『ケンちゃんシリーズ』や『あばれはっちゃく』でしょう。『あばれはっちゃく』は、以前スカパーで、3代目まで放映されましたが4代目以降は放映されませんでした。それでも、その後、5代目まで全てDVD化されました。

 

DVDを購入すれば『あばれはっちゃく』はいつでも見れる環境になったのは大変喜ばしいです。ただ逆に言えば購入しないと見れないということでもあります。かつてのようにゴールデンタイムで、『あばれはっちゃく』のような児童ドラマが誰もが見れる状況になってほしいものです。

 

現在全く見ることができないのは、『ケンちゃんシリーズ』でしょう。前身である『チャコねえちゃん』に関しては、全話ではないもののDVD化されてますが、『ケンちゃんシリーズ』は一向にDVD化されてません。

 

スカパーでも、初代ケンちゃん役である宮脇康之くん主演のシリーズは放映されたものの、弟役や2代目ケンちゃん役の岡浩也くんが登場するシリーズは、一向に放映されません。

 

本会は、こども目線に立った日常が描かれている昭和後期の児童作品を、今のこどもたちにも鑑賞できるような環境を作りたいです。『ガキ大将行進曲』の上映会を実施しているのも、その一環です。現在見る術がない特に2代目ケンちゃん役の岡ケンちゃんシリーズを何らかの形で見れるように各関係者に働きかけたいと考えています。

がっぱ先生

9月23日(金)、21時から日本テレビ系列で放映されました。

原作は、角川つばさ文庫から出ている「みんなで跳んだ」。

原作は中学校2年生の教室が舞台であるのに、テレビドラマでは小学校5年生の教室が舞台になりました。

小学生の子役は使いにくいと言われる中、よく日本テレビが大勢とは逆のパターンに挑戦したと思います。

 

星飛雄馬 まだ若手

朝日新聞9月17日付に、声優の古谷徹さんに対するインタビュー記事が掲載されていました。

巨人の星」の星飛雄馬の声の出演をされていたのですね。

日本青少年教育研究所所長の仙石保さんが、「巨人の星」を真面目ヒーローの代表と捉えています。

その一方で「キン肉マン」をおふざけヒーローの代表と捉え、「ヒーロー像が逆転した」と指摘されていらっしゃいます。

その古いほうのヒーローの声の出演をされた方ですから、すっかり老人なのかと思っていました。

1953年生まれ、現在63歳。

「還暦を過ぎたという実感がない。」

「若い声優をライバルだと思っている。」

嬉しいですね。

勤め人には定年制度があるため、還暦と同時に強制的に引退させられ、後進に道を譲らされます。

そうして、ヒーロー像の逆転が、短期間に起きていることに驚かされます。

巨人の星」の時代と、「キン肉マン」の時代とでは、15年しか違わないのです。

今から15年前と言えば、イスラム過激派が跋扈していたし、サッカー文化が隆盛していたし、今とどれだけヒーロー像が変わっているでしょうか。

昭和後期の文化は、平成文化に辿り着くための助走のような期間であったと考えてしまうことはありませんか。

映画関係のパーティーに参加

先月16ミリフィルム映写機の操作方法を教えてくださった方が、3歳の息子さんと一緒に名古屋へいらっしゃいました。名古屋で開催の映画好きが集うパーティーの主催者の一人として、地元の食材を使って料理を提供してくださいました。

僕も出席し、食事をしながら、参加者の方と交流を深め、楽しいパーティーでしたね。参加者には映画監督もいらっしゃいました。名古屋での上映会開催に向けての話し合いもしましたので、具体的に決まったら、このブログで紹介します。

ロケ地上映会は大成功

『ガキ大将行進曲』の上映会は、今まで3回実施しました。1回目は埼玉県、2回目は福島県、そして前回の記事で事務長が書いたとおり、3回目で念願の山梨県のロケ地上映が実現しました。ロケ地上映実現に向けて紆余曲折しましたが、主催団体のご尽力により開催できたことは大変感謝いたします。

 

当日は、少し旅気分を味わいたいこともあり、新幹線を使わず、中央本線経由で遠回りしたので、5時間近くかかりました。午前11時40分に、上映場所の最寄駅であるJR身延線鰍沢口駅に到着し、主催団体の代表者が車で迎えにきて下さいました。

 

富士川町町民会館へ向かうまで、映画の中で出てきた橋や秘密基地を作ったであろうと思われる場所を、車で通りました。撮影時期は1978年だと思いますが、ところどころ『ガキ大将行進曲』のゆかりの場所が残っていて良かったです。主催団体の代表者は観客が何人いらっしゃるか見当がつかないものの、50名位見えたら嬉しいとおっしゃってました。予測とおり52名でしたので、まさに計画通りでしたね。イベントを開催したものの参加数ゼロという事例をよく聞いていますので、上映が始まるまでドキドキしました。

 

昭和時代を懐かしむ方にぜひご覧いただければと思いましたが、現役の小学生が何名見にきているのかも気になりました。父と母のこども時代だった1970年代の感覚や雰囲気を親子と共有してほしいと願っているからです。小学生も数十人見にきていたのを確認しました。今のこどもたちは、16ミリ映写機は逆に新鮮に感じたかもしれませんね。

 

今回『ガキ大将行進曲』の出演者は一人も来ないと思い込んでましたが、エキストラで参加した女性が見に来てくださったのは、本会にとってサプライズで、嬉しかったです。これこそがロケ地上映の醍醐味ですね。もし次、ロケ地上映を実施する時は、難波さんや他の出演者をお呼びできたらと思ってます。

 

帰りは、身延線富士駅まで行き、その後、新幹線を使い、夜10時代に自宅に戻りました。

ロケ地上映会を開催しました

『ガキ大将行進曲』のロケ地上映会が、やっと実現しました。

昨年9月から交渉を始めたものの、どこが主催するかで難航していました。

最初、日帰りで実施するつもりでいました。

当日朝4時半に自宅を出て11時半の会場設営開始に間に合わせる、というプランです。

しかし私の親が、「過労運転になる恐れがある」「翌日は、いつもより仕事の開始が早い」と反対し、富士川町内のホテルに一泊することにしました。

甲府市内の宿は、この時期どこも満室でしたが、富士川町まで行ったら、素泊まりでも空室がありました。

昨年の福島上映時も、福島市内の宿はどこも満室で、二本松市内まで行って漸く空室を見付けたのと状況は似ています。

8月21日(日)午前10時半に主催団体の代表者が私をホテルに迎えに来てくれました。

そこから車で2~3分の富士川町町民会館に移動。

映写機材を設営し、試写していたらやたら台詞に「~じゃん」という言葉が多いのに気付きました。

この時期の子供の言葉はそうであったのか、あるいは大沢豊監督が漫画かテレビの影響で子供の言葉をステレオタイプに捉えていたのか、どちらであろうと主催団体代表者に質問したら、「これは甲州弁だ」とのことでした。

なるほど、「~じゃん」の他に「~ずら」もあります。

主催団体代表者の娘さんが経営するイタリアンレストランに席を移し、名古屋からやって来た本会代表と合流しました。

主催団体代表者は、自宅から『ガキ大将行進曲』の原作を持って来ましたが、それは私が住む市の図書館にもあり、借りてかばんの中に持っていました。

午後1時に富士川町町民会館に戻り、設営作業を再開しました。

間もなく、観客がやって来ました。

『ガキ大将行進曲』の中でエキストラをしたという女性も現れました。

富士川町市川三郷町の全小中学校に家庭数のチラシを配布し、総数52名の観客が見えました。

開会の挨拶で、難波克弘さんの個人ブログにお誘いを投稿したのだけれども、今は日本にいらっしゃらないということで「花束贈呈」は実現しなかったと述べました。

会場がどっと沸き、エキストラをしたという女性も沸いていました。

3時半に上映終了後、そのエキストラの女性に名刺を渡したのですが、子役としてエキストラをしたのではなく母親役の一人でエキストラをしたこと、光男くんたちを陣馬山競争に送り出す母親たちの中にいたこと、今も作者の故・塩沢清さんの奥さんと年賀状交換をしていることなどを聞かせてもらいました。そうして、本会の活動を、「とてもいい活動だ」と褒めて下さいました。

母親役の方が健在であることを知り、『ガキ大将行進曲』の時代はそれほど古い時代ではないと私は感じました。

難波さんが日本に見えることがあれば、主催団体代表者と再び連絡を取り、上映会をもう一度行い、「花束贈呈」を実現できればいいなと思っています。勿論、本会の希望に過ぎませんが。

帰りは、中央高速をひた走りました。

夏の終わりの日曜日の夕方は、例年大月から八王子までの区間が渋滞しており、今年も例外ではありませんでした。