「懐かしい」では終えないために
4月29日、埼玉県の荒川沿いの彩湖・道満グリーンパークで教員採用試験の勉強会のバーベキューがあり、東海地方在住の代表をお呼びしました。
初夏の一日、川辺の風に吹かれながら、午前中からの酒に酔いしれました。
翌30日、ふるさと新座館で「先生のつうしんぼ」の上映会を行いました。
親子映画の会の方と、新座市内で小学校教員をされている方が見えました。
「懐かしい!」「こういう教室を作りたい!」との声。
ただ、映画監督としては採算が取れない映画は作りたくないそうです。
「作りたい」という気持ちと、「見たい」という気持ちが連動した時に映画が生まれるそうで、どちらが欠けても映画は生まれないそうです。
「映画の中の世界と、現代との間にギャップがある。小学校での上映は難しいかも。上映するなら、幼稚園か保育園だ。上映会が行われていること自体が奇跡だ」とも評されました。
この映画には、ストーリーがあり台詞があります。
幼稚園児や保育園児では、恐らく動作しか鑑賞できないと思えます。
ギャップこそが、学習のきっかけになるのではないでしょうか。
テレビで育った仲
NHKテレビで、「子のつくお名前特集」を見ました。
街頭で、「子」の付く女性名についての印象を現在の若者に尋ねたところ、「ダサい」と男性が、「『子』の付かない名前に憧れていました」と女性が答えていました。
2016年の命名ランキングの女児第5位に「莉子」が入っていることを理由に、「子」復活の兆しとも言っていましたが、最近の女児に「子」を付けるにしても、音感を重視してたまたま「こ」という音が最後に来て、「子」という漢字を当てたもののように思えます。
意味を考えて「子」を付けているのかは疑問であると言えます
「子」 の付く女性名が激増したのは1900年前後で、ピークは1945年、その後1957年には早くもランキング10位圏内に「美」が現れているそうです。
「子」 の付く名前は、20世紀前半の名前であり、本会が研究対象にしている昭和後期には、既に衰退過程にあったのですね。
「子」 以外の名前を付けるのは、テレビの影響が大きいそうです。
テレビを見て育った世代が親になった1980年代からそういう命名が増えたそうです。
テレビ番組のキャラクターを見ているうちに、「こんな名前もいいな」と思えるそうなのです。
赤ちゃん命名研究家が、男児に「翔太」と命名するのは、テレビで育った親だと述べていましたが、これは女児にも該当しているのです。
私が学部学生だった1988年、ゼミの指導教員が「テレビが子供に与える影響はほとんどないという研究結果が出ている」と仰っていました。
その研究の着眼点がどこであったのか疑問に感じます。
北村充史『テレビは日本人を「バカ」にしたか?―大宅壮一と「一億総白痴化」の時代』平凡社、2007年を読み返してみたいと思います。
『先生のつうしんぼ』上映会を開きます
・2017年4月30日(日)午前9時
・新座市立野火止公民館(ふるさと新座館)講義室3
・入場無料
・直接会場に見えても構いませんが、この記事をご覧になって見える方は、事前にご連絡をいただければ幸いです。
徒党
春日部市中央公民館に、「校庭に東風吹いて」を見に行って来ました。
間違えて春日部市民文化会館に行ってしまい、少し遅れてしまいました。
場面緘黙の小学校3年生の女の子を主人公にしています。
クラスでインコを飼っていて、誤ってそのインコを逃がしてしまい、最もインコを可愛がっていた男の子から追及されるものの、何も答えられません。
女の子は、そのまま不登校になってしまいました。
親に抵抗して物を投げ、そこでBGMに流れたのが「♪世界中のこどもたちが、一度に笑ったら・・・。」
殊更徒党を組むような歌ですよね。
ポンキッキで流れた歌でもあり、私が毎日ポンキッキを見ていたのも小学校3年生の時であることを思い出しました。
また、この歌は、私が小学校3年生の副担任をした時に、給食時にいつも流れていた歌であることも思い出しました。
さて、その男の子は転校することになります。
女の子は、学校に来ていなかったのですが、男の子が校門を出ようとしたところにやって来ます。
女の子は、男の子に絵を渡します。
男の子の手にインコが止まっている絵で、女の子が描いたものでした。
そうして、「♪世界中のこどもたちが、一度に笑ったら・・・」でTHE END。
小学校2年生までとは違って、3年生になると徒党という概念が入って来る、と私は考えています。
徒党が組めるようなこどもには教室は楽しい空間になりますが、そうでないこどもには辛い空間になるでしょうね。
平和な時代の平和運動
3月19日(日)、NHK-BS第1放送で、ある女性がこどもたちにヒップホップの指導をしている話が紹介されていました。
最後にその女性が、マイクに向かってヒップホップの精神を説明し、ヒップホップを通じてこどもに何を伝えたいのか語っていました。
「平和」ですよね。
ヒップホップのルーズファッションは、「フリースタイル」なのだそうです。
「フリースタイル」で、皮膚の色の違いを乗り越え、中身は同じ人間であることを理解し合う、と。
「自由」と「平和」ならば、朝鮮戦争の頃から、アメリカ側からずっと理想として語られて来たことなのですが、どこか違います。
個性主義だと思います。
先般も書いたように、この現代の一人一人はダイヤモンドの原石なのです。
皮膚の後ろに隠された中身とは、ダイヤモンドの原石であると言ってもいいと思います。
ダイヤモンドの原石は硬いので、ぶつかったらお互いに傷が付く恐れがあります。
朝鮮戦争の頃の「自由」や「平和」とは、軍隊やデモ隊などの集団・規律を通じて実現して行ったものではないでしょうか。
平和だから個人がダイヤモンドの原石になっている、とも言えるわけで、平和な時代の平和運動とは分かったようでよく分からないものです。
河原和枝『日常からの文化社会学-私らしさの神話-』世界思想社2005年を読みました
基本はゲオルク・ジンメルなのですね。
ファッションは「常に過去と現在の分水界に立ち」「他の現象には稀にしかないほどに、強烈に現在の感情を与える。」
今のこどもたちは、分水界の向こうの過去を知りません。
現在の感情を抱くことに、優越や安心を感じるようです。
歴史教育を通じて分水界の向こうのありのままの姿を知らせなければ、誤った優劣意識を身に付ける恐れがあります。
1960年代のファッション革命についても紹介されています。
昭和後期は1960年代ファッション革命の申し子のようなところがあるのですが、1960年代ファッションは現在も継続していると見做すのには違和感があります。
『赤い鳥』には非営利の文化雑誌というイメージがあります。
しかし本書では、『赤い鳥』の童心主義が、子供を読者とせず、大人を読者としており、大人の懐古趣味である可能性を指摘しています。
現在のこどもと向かい合って初めて値打ちがあるのであって、本会も同窓会にならないことを標榜しています。
あさま山荘45年
3月9日(木)、BS朝日で、「あさま山荘45年」を見ました。
連合赤軍の関係者は、自殺した人や病死した人を別にすれば、まだ漸く老境に達した年頃なのですよね。
何せ私はまだ幼稚園の年少でしたので、遥かに古い事件のように思えます。
赤塚不二夫「天才バカボン」曙出版刊18巻(1974年)106頁「ポリ公ニューフェイスなのだ」では、交番に着任した新しい警察官が、「学生がいってるソウカツってやつをよう、やりてえなおれもあつさしのぎによお!!」と発言しています。
総括。
あの頃は、人間の身体や生命の値打ちが今よりも低かったと思います。
第二次世界大戦中に、人間の身体や生命の値打ちが国家の値打ちの足元にも及ばなかったのだとするならば、戦後27年を経過したこの時期には、そういったものの値打ちは革命の値打ちの足元にも及ばなかったのだと考えられます。
第二次世界大戦終結で戦争は終わっておらず、戦争の第2ラウンドとして冷戦が始まったとする捉え方には説得力があると思いました。
一連の連合赤軍事件の後、団塊の世代を中心とした学生の政治運動は急速に萎んで行きましたが、新人類世代を中心に新たに宗教系の学生運動が台頭して来ます。
学生運動の第2ラウンドと言ってもいいかもしれません。
既にソ連は消えています。
オウム真理教事件を契機に、「人間は死にたくない」という気持ちを基調にした危機管理思想が台頭するのですよね。
そうして人権意識の急高騰。
個人の値打ちは、他の何にも代えがたいとされるようになりました。
戦争が遠のいたからだとも言われます。
とは言え、インタビューに応えた連合赤軍の関係者が、現代の人権感覚で事件を反省していることにどこか違和感がありました。
「補助金を貰うのに必要だから」と現在では自民党員になっていることと無関係ではないのかもしれません。
オウム真理教事件の時に警察庁長官であった國吉孝次さんは、あさま山荘事件の時には軽井沢の現場で指揮を取っていたと言いますね。
「適応」を巡る先行世代の転身ぶりに見習うべきなのでしょうか。