環境問題
6月7日(水)、NHKの「ガッテン」で、1980年夏の小学校の体育館での日焼け大会の景色と、2015年夏の海水浴場の景色とが比較されました。
2015年夏の海水浴場では、人々がTシャツを着て水遊びに興じていました。
2014年夏、私が小学校で水泳の補助の仕事をした時に、肩からタオルを被せられ、海水パンツの上からハーフパンツを穿かされたことを思い出しました。
最初は盗撮対策かと思いましたが、私を盗撮して喜ぶ人もいないでしょうし、意図はよく分からないままでした。
1988年6月7日に、NHKテレビ「モーニングワイド」でオゾンホール問題が紹介され、「紫外線は皮膚癌を誘発させかねない」との通念が広まって、1989年頃には小麦色ブームを終結させたそうです。
1988年から1989年にかけて、他に何が起きたでしょうか。
Jポップの発生、マンションでのオートロックの実用化、宮崎勤の事件…。
日本社会が欧米化し、日本の慣習も、犯罪も、まるで欧米のようになるとまことしやかに囁かれた時代です。
そうして、オゾンホール。
共通するのは、環境の変化です。
真実であるかどうかは分かりませんが、環境が過酷になり、防備をしないと環境から攻撃されかねない、といったものです。
のちの個人情報保護法もこうした流れと同一線上にあると思いませんか。
美白の現代人はビタミンDが欠乏して骨が脆くなりかねないそうです。
人間にとって、太陽はもともと恩恵。
太陽と友達になれず、太陽を嫌うような文明は不自然です。
欧米化の総本山であるアメリカで、「地球温暖化には根拠がない」とする政権が誕生するのは、変革を予感させますよね。
北村充史『テレビは日本人を「バカ」にしたか?-大宅壮一と「一億総白痴化」の時代-』平凡社、2007年を読んで
民間テレビが、娯楽番組でやらせを行うのは、「電波少年」に始まることではないようです。
1956年11月3日、日本テレビが早慶戦の早稲田側応援席にスタッフを潜入させ、慶応の応援をさせてみたのが、その端緒だったようです。
すぐさま、評論家の大宅壮一さん(1900~1970)が反応し、「テレビは日本人を馬鹿にする」という論陣を張ったそうです。
中部日本放送社員・永田:「日本でも今は、教養番組では金にならない。そこで教養番組は辺鄙な時間に片付けられて、白痴化の番組だけが威張って出ているわけです。こういう時こそ、NHKを大きく育てて行かなければならないと思うのですが。」
大宅:「ところが、そのNHKが、白痴化競争に乗り出して来るんだね。」
作家の松本清張さんも、同様の論調を張っています。
1981年、私の1個下の後輩が、「♪ギンギラギンにさりげなく…」と口ずさんでいました。
「何、その歌?」と聞いたら、後輩は「先輩が知らない歌ですよ」と答えました。
「テレビ番組は、今くらいがちょうどいい」「今までみたいなテレビ番組では、夜の放送は12時で終了」とも言っていました。
テレビの娯楽番組を見ていると、仲のいい同世代の友達の顔が浮かぶのですよね。
1981年に、フジテレビが娯楽路線に舵を切り、1989年にNHKが娯楽路線に舵を切るまで、80年代一杯を掛けてテレビ番組の娯楽化は進行します。
NHK教育テレビ「You」は、高校の文化祭をモデルにしたと言われます。
そうしてテレビ番組の娯楽化は、キラキラネームの普及と軌を一にしています。
生まれた赤ん坊にキラキラネームを付ける時は、恐らく同時期に親になった、仲のいい同世代の友達の顔が浮かぶのではないでしょうか。
日本人の白痴化の進行には、「仲のいい同世代の友達」という要素が付いて回ります。
一方で、「テレビは日本人を馬鹿にした」と断定する人は、活字で育った世代の知識人に多いそうです。
大宅さん自身も、70歳で亡くなっています。
人生70年の時代です。
しかし、活字で育った世代が日本社会の主流であった頃は、「今までにはいなかったような犯罪者が跋扈している」ような心配もなかったのではないでしょうか。
「先生のつうしんぼ」上映会実行
5月29日(月)に行いました。
今回の企画には、二つ新しい点があります。
一つには、平日に実行したこと。
もう一つには、私の昨年の勤務校の学区にある公民館で実行したことです。
事前にチラシをポスティングするなどしたら、昨年の私の教え子8人(5年生、男2人、女6人)が来てくれました。
流行りの作品ではないのだから、知っているこどもでないと来てくれないことが分かりました。
4月30日の上映会を振り返って
こどもが積極的には来てくれませんね。
自分が知っている作品と作風が似ても似つかず、自分の周囲で作品に対する評判もない、というのでは、わざわざ出向いて見る気にはならないのでしょうね。
4月30日、上映が終わった後に中学校で英語を教えるSさんが「これから行きたい」と電話を掛けて来ました。
「こどもを連れて来るのか」と尋ねたら、「それだけの関係がない。一人で行く」とのことでした。
上映は終わっていたのですから、Sさんにお見せすることもできませんでした。
今までこどもに見せることができたのは、福島と山梨のケースです。
前者は、学童クラブに在籍するこどもが、クラブの事業の一環として見てくれました。
後者は、地域こども会に参加しているこどもが、地域の退職教員に呼び掛けられ、地域こども会の事業の延長線上で見てくれました。
共通している点は、見せる側と見る側のこどもとの関係が既に存在していることです。
Sさんが仰った通り、関係がない限りこどもに見てもらえません。
おととし夏に、深谷シネマがせっかく児童映画の上映会を実施したのに、こどもの来場者がなかったのは、関係のあるこどもがいなかったからです。
今年度は市内に会場は確保できますから、作戦を練り直してこどもが来場できる上映会にしたいです。
「懐かしさ」と「現代」の狭間で
本会の事務長が企画した上映会が、
翌30日は、1977年製作「先生のつうしんぼ」上映会で、
それでも以前開催した上映会の時のこどもたちの感想を聞くと、
「懐かしい」では終えないために
4月29日、埼玉県の荒川沿いの彩湖・道満グリーンパークで教員採用試験の勉強会のバーベキューがあり、東海地方在住の代表をお呼びしました。
初夏の一日、川辺の風に吹かれながら、午前中からの酒に酔いしれました。
翌30日、ふるさと新座館で「先生のつうしんぼ」の上映会を行いました。
親子映画の会の方と、新座市内で小学校教員をされている方が見えました。
「懐かしい!」「こういう教室を作りたい!」との声。
ただ、映画監督としては採算が取れない映画は作りたくないそうです。
「作りたい」という気持ちと、「見たい」という気持ちが連動した時に映画が生まれるそうで、どちらが欠けても映画は生まれないそうです。
「映画の中の世界と、現代との間にギャップがある。小学校での上映は難しいかも。上映するなら、幼稚園か保育園だ。上映会が行われていること自体が奇跡だ」とも評されました。
この映画には、ストーリーがあり台詞があります。
幼稚園児や保育園児では、恐らく動作しか鑑賞できないと思えます。
ギャップこそが、学習のきっかけになるのではないでしょうか。
テレビで育った仲
NHKテレビで、「子のつくお名前特集」を見ました。
街頭で、「子」の付く女性名についての印象を現在の若者に尋ねたところ、「ダサい」と男性が、「『子』の付かない名前に憧れていました」と女性が答えていました。
2016年の命名ランキングの女児第5位に「莉子」が入っていることを理由に、「子」復活の兆しとも言っていましたが、最近の女児に「子」を付けるにしても、音感を重視してたまたま「こ」という音が最後に来て、「子」という漢字を当てたもののように思えます。
意味を考えて「子」を付けているのかは疑問であると言えます
「子」 の付く女性名が激増したのは1900年前後で、ピークは1945年、その後1957年には早くもランキング10位圏内に「美」が現れているそうです。
「子」 の付く名前は、20世紀前半の名前であり、本会が研究対象にしている昭和後期には、既に衰退過程にあったのですね。
「子」 以外の名前を付けるのは、テレビの影響が大きいそうです。
テレビを見て育った世代が親になった1980年代からそういう命名が増えたそうです。
テレビ番組のキャラクターを見ているうちに、「こんな名前もいいな」と思えるそうなのです。
赤ちゃん命名研究家が、男児に「翔太」と命名するのは、テレビで育った親だと述べていましたが、これは女児にも該当しているのです。
私が学部学生だった1988年、ゼミの指導教員が「テレビが子供に与える影響はほとんどないという研究結果が出ている」と仰っていました。
その研究の着眼点がどこであったのか疑問に感じます。
北村充史『テレビは日本人を「バカ」にしたか?―大宅壮一と「一億総白痴化」の時代』平凡社、2007年を読み返してみたいと思います。