昭和後期こどもの歴史研究会

平成時代の社会変化で、その直前の昭和後期こどもの歴史は忘れられています。お金にならないため、企業も投資したがりません。人間の幸福感の問題として、昭和後期のこどもの文化を、現在のこどもたちに伝えていく努力をしたいです。昭和後期のこどもの文化に幸福を感じる現在のこどもを、一人でも育てられたら嬉しいです。

幼児雑誌に見る戦前・戦後

今日、東京・飯田橋印刷博物館で開かれていた「キンダーブック90年展」の最終日で、見て来ました。

この90年間で、戦前の展示比率が高いのが特徴だな、と感じました。

ただ、戦前は自分の頃と比較ができないな、とも感じました。

戦前の「キンダーブック」は、片仮名・旧仮名遣いである上、軍人がよく登場します。

1940年の「キンダーブック」で、海軍軍人から男の子が胸に勲章を付けられていましたが、男の子の顔が横長の楕円で、明らかに戦後のこどもとは顔が違うのです。

戦後は頭を悩ませることなく比較ができます。

幼稚園児たちが、ジャングル鬼をしている絵は、1953年4月号でした。

私も、勤務校の3年生たちと、よくジャングル鬼をします。

そうしてこの絵でジャングル鬼をしている幼稚園児たちは、1947年か1948年生まれで、私の恩師世代なのですね。

この幼稚園児たちが、先日国立歴史民俗博物館で見た「1968年の無数の問い」の主役になったと考えると、不思議な気がします。

1963年4月号では、横断歩道を渡る小学校1年生の絵が掲載されていました。

こどもが着ているセーターの材質が若干貧弱だな、とは感じますが、もう現在と大きな開きはありません。

1956年生まれで、2018年1月現在もう定年退職していますね。

同じ戦後世代とは言え、親から直接戦争体験を聞いた戦後世代と、「戦後民主主義は現実、大日本帝国は理想」の傾向がある戦後世代とを一纏めにできるのかは分かりませんが。

私は戦前の「キンダーブック」を見て「モラルがあっていいな」とは感じませんでした。

嫌いだ!友達と仲良くなれる消費社会

「平成と言う時代には、東日本大震災の後、別の時の流れがあり得たはずではなかったか-。消費社会という巨大な歯車が静止した間、別の可能性を模索し、生き方を見直した人もいた。でも、その歯車は再び回り始めた。前よりも強く。」

朝日新聞1月5日(金)2面「平成とは-第1部 時代の転換」は、以上のように切り出しています。

今までの私の読書によれば、消費社会が始まったのは1970年代半ばで、1980年代に勢いを増し、1996年には堤清二さんがその危険性を指摘したものです。

同世代と距離を取っていた私は、中学校2年生だった1980年には、消費社会を歓迎する同世代の姿を見て、「この人たちが社会の中堅になったら、どういう社会を作るのだろうか?」と不安を感じたものです。

私の不安は、的中したものと思われます。

最近の株価上昇は、バブル期の再現を夢見たもののようです。

バブル就職した私の同世代は、1970年代に心の源流はなく、それから15年後のバブル期に心の源流があるようです。

1980年代の消費社会の急流と、それが頂点に達したバブル期を否定しなければ、あの安らかだった昭和後期の日々を取り戻すことはできないと考えます。

東日本大震災の後、消費社会が停止したことは記憶に残っています。

地方から高速バスで東京に帰ると、夜の東京は電気の濫用を避けてすっかり落ち着いていました。

渋谷から木星が見えると話題にもなりました。

石巻の地方紙は、カレンダーの裏にマーカーによる肉筆で号外を書き、パソコンがなくても文書作成が可能であることを示しました。

「がんばろう日本」とは、何を頑張るのか、保守系と思われる人に限って声高に唱える「がんばろう」とは何を目指した頑張りであるのか、当時の私には見えませんでした。

しかしその後安倍政権が誕生し、原発存続政策を打ち出し、2020年東京オリンピックを誘致するに及んで、何を目指した頑張りであるのかが見えて来ました。

消費社会の維持を目的とした頑張りなのです。

自民党が、安倍さん以外の指導者が台頭することを抑え込むのは、一つには消費社会の維持・存続という共通目標があるからなのです。

中学時代から消費社会を嫌っていた私は、日本の支配層たちが消費社会をこれほどまでに死に物狂いで守ろうとするとは思いもよりませんでした。

バブル期の経験者たちが、これほどまでにバブル期に愛着を持っているとも思いもよりませんでした。

そうして、世界もそれを応援しています。

安倍さんが、2016年リオデジャネイロオリンピックスーパーマリオの真似をして受けたのは、世界が日本のお金と商品を愛していることが分かります。

東日本大震災を経て、日本人が一つだけ学習したことがありました。

「日本で欧米型犯罪は起きていない」ということです。

ニュージーランドの大地震でも被災地では掠奪が起きており、もし日本に欧米型犯罪が入って来ているのなら、被災地ではとっくに掠奪が起きているはずなのです。

被災地で頻発したのは、むしろ避難した農家に対する空き巣狙いだったのではないでしょうか。

1970年代までに衣食住の問題は解決したものとし、それ以上の資本主義の発展はもはや求めない-私の同世代を含めた若い親世代が、こども世代に伝えないことを伝えて行きたいと考えます。

そのこどもたちが大きくなったら、消費社会をいいものとして親から教わった同世代多数派に、異議を唱えられるようになると思われます。

教師の勉強会の飲み会に参加

本会の事務長のお誘いで、僕も教員採用試験の勉強会に参加しました。
 
僕は民間企業に働いていますが、教師を目指しています。ただ、本業の仕事量が増え勉強をする時間がなかなか取れず、経済面のこともあり、思い通りに事が進まない状況でしたので、勉強会に参加できたのは収穫でした。すぐには結論は出なかったのですが、これからどういう選択肢があるのか、方向性を考える上で参考になる意見をいただきました。
 
甥っ子がいるものの、身近にこどもたちと接する機会が少ないので、教師になれば、目の前にいるこどもたちとガッツリ向き合うことができ、本会の活動にもプラスとなります。こどもの心について理解するには、本の知識だけでは限界があり、やはり実際にこどもたちと交流した方がいいですね。
 
事務長の記事に書いてありましたが70年代の話もしていました。1977年の「サタデーナイトフィーバー」の影響で、「フィーバー」という言葉が定着しました。それまではその意味では一般的に使われてなかったようです。その1年後の1978年に、小学校が舞台のドラマ「熱中時代」が放映され、子役の原田潤くんが主題歌「ぼくの先生はフィーバー」を歌っていますね。今ではパチンコ用語っぽい感じがしますが、70年代に定着した言葉は多いです。
 
今回の「紅白歌合戦」に初出場のエレファントカシマシ のボーカル、宮本浩次さんは、小学生の時、「NHK東京児童合唱団」に入団していました。1976年の10歳の時、NHKの『みんなのうた』で、「はじめての僕デス」を歌っています。歌詞は、70年代の平均的な小学生の男の子の自己紹介で、その当時の情景が浮かんできます。ドリフターズ加藤茶さんもカバーしていて『8時だョ!全員集合』で歌っています。僕は、岡浩也さんが歌っているレコードも持っているので、3人による歌い手を聴き比べてると面白いです。
 
70年代は、こどもが歌い手となっている曲がヒットしているので、昭和後期の文化の一つですね。

利潤目的の文化運動

大晦日の今日、教員採用試験の勉強会の代表宅で飲み会がありました。

中学校の英語教諭で、映画が好きなSさんが、「70年代に何があったかな。どんな映画があったかな。トラボルタ…」と言い出しました。

「サタデーナイトフィーバー」ですね。

6070年代の映画は心理描写を緻密に行ったそうですが、その後の映画は「CGでこれだけできるようになった」ということを誇示したがるそうです。

本会ならば、「CG反対!実写で緻密な心理描写を!」と言うところですが、映画制作会社のバイトの面接に行ってそれを言ったら、相手が突然不機嫌になったことがありました。

帰宅してから、年越しそばを食べながら「紅白歌合戦」を見ました。

父が、「演歌や歌謡曲がない」と言っていましたが、「きよしのズンドコ節」が流れたら、「やっと歌謡曲が流れたな。これが大多数の日本人の感性だと思う」と言っていました。

音楽制作会社のバイトの面接に行って、「演歌や歌謡曲を流行らせたい」と言ったら、落とされる可能性があります。

ファッションは、需要側主導なのか、供給側主導なのかよく分かりませんが、供給側の「古いファッションを陳腐にしたい」という意向が強く働いていることは間違いないと思います。

戦後の児童大衆文化

国立民俗歴史博物館に行って来ました。

京成佐倉へは、我が家から2時間以上掛かるのですが、企画展「1968年-無数の問いの噴出の時代」が今日までだったので、思い切って出掛けることにしました。

この時期に学生運動を担った人たちは、昭和後期のこどもに教えた教員、あるいは昭和後期にテレビに出て来た正義の味方と同世代だと思われます。

この世代の人たちの価値観に基づいて、現在のこどもを育てるべきであるとも言えます。

常設展にも目を奪われました。

特に印象に残ったコーナーが、「大衆文化に見る戦後のイメージ」。

10年刻みの学校給食の再現に関心を持ちました。

50年代は、脱脂粉乳に、コッペパンに、鯨の竜田揚げ。50年代の生まれの人で、あの時代の嫌な点として「嫌いな鯨を無理やり食べさせられた」経験を挙げた人がいましたが、この給食の思い出であると考えられます。私でも古いと感じます。

60年代は、脱脂粉乳と牛乳半々に食パン、ハンバーグ、みかん。まだ木造校舎が主流だったでしょうね。

70年代は、完全牛乳にミートスパゲティー、ババロア。私の子供時代の学校給食であり、私が小学校中学年だった頃に食の貧しさは一掃されたと考えていいでしょう。むしろ1975年の栄養バランスは、農林水産省が「日本型食生活」と命名してモデル化しようとしたくらいです。

長谷邦夫さんが作画した「怪物くん」が陳列してありました。

隣で見ていた若い女性たちが、「わ~、怪物くん!」と歓声を上げていました。

共有するものがなさそうなのに、共有するものがあったら新鮮なのでしょうね。

はしだのりひこさん逝く

先日かまやつひろしさんが亡くなったと思ったら、今度ははしだのりひこさんが亡くなりました。

ご両者は、私の記憶に残る最も古い歌手とも言えるのですよね。

幼稚園に上がるか上がらないかの頃、テレビで見た弦楽器の楽団の絵を描いた記憶がありますが、あれは今から思えばはしだのりひこさんだったのですよね。

中央にギターなどの軽い弦楽器があり、その隣にチェロなどの大きい弦楽器があり、両端にコントラバスなどのもっと大きい弦楽器がありました。

コントラバスの巨大さにびっくりしました。

私の幼少期の大人たちが一人ずつ消えて行くのは寂しいですね。

天然痘が流行っても改元が

元号が、201951日に施行されるそうです。

平成31年度が1か月しかないというのはよく分かりませんね。

平成が大方の予想よりも1か月伸びることで、平成生まれの赤ちゃんが何人増え、平成没の老人が何人増えるのでしょうか。

平成314か月を2で割ると、平成真っただ中は2003年夏になるのでしょうか。

ウィキペディアでこの年にあったことで目立つことを見ると、

イラク戦争。軍事評論家などという人は、昭和後期にもいるにはいましたが、戦争放棄の掛け声の下に、あまり日の当たる存在ではありませんでした。

・駿くん殺害事件。2001年の宅間の事件の時は、騒いでいるのは専ら親や教師でしたが、この事件では「こどもがこどもを殺した」ことから、こどもの間にも一気に警戒が走りました。

・通り魔。「地域防犯マップ」などというものは、多分に通り魔を意識したものだと思われます。

・肺炎。流行るものは流行るのです。人間だから、日本にいるから、体力があるからと安心はできませんでした。

平成は、戦争・犯罪・病気など、痛いものが必要以上に流行った時代だと思います。

これが一世一元ではなかった江戸時代以前ならば、阪神・淡路大震災東日本大震災を契機に改元していたところなのでしょうね。

平成時代など、早く過去のことにしたいです。