昭和後期こどもの歴史研究会

平成時代の社会変化で、その直前の昭和後期こどもの歴史は忘れられています。お金にならないため、企業も投資したがりません。人間の幸福感の問題として、昭和後期のこどもの文化を、現在のこどもたちに伝えていく努力をしたいです。昭和後期のこどもの文化に幸福を感じる現在のこどもを、一人でも育てられたら嬉しいです。

日本型衣生活

テレビのルポルタージュによれば、小学校の卒業式で、女の子は袴、男の子も羽織が普及しているそうですね。

私の勤務校の卒業式もそうでしたが。

特に男の子は、旧来おしゃれには無頓着なものであり、母親主導のおしゃれ教育は言ってみれば生活水準の質的向上なのでしょうか。

「失われた20年」と言いながら、従来世代を圧倒するような「質的向上」がどこから出て来るのかは不明です。

バブル時代、大学生だった私は、「今の日本は豊か過ぎる」と述べたものですが、この意見にぽかんとする人たちが少なくありませんでした。

ぽかんとした人たちは、永遠にバブルを続けたかったのでしょうね。

バブルというものが、人間の根源的な物欲を捉えており、バブル時代のシャワーを浴びた母親が、永遠にバブル時代を卒業できないままでいる可能性はありますよね。

農林水産省が、1975年の食生活を「日本型食生活」と命名してモデル化しようとしたものを、国民がこれを無視して食生活を変化させていったのと原因は同じであるかもしれません。

こども文化も、1975年をモデル化させてみたいものです。

少数派の孤独

ジャニーズの知念侑李さんは、体操選手の知念孝さんの息子さんだそうですね。

お父さんは、1967年3月25日生まれだそうで、私と同学年です。

さて、「♪昭和無理、どっから見ても平成がいい」は、ひょっとしてお父さんの影響でしょうか。

私と同学年の人たちが、あまりにも見事に70年代こども文化を中学校真ん中辺りに卒業し、その後身に付けた80年代若者文化をDNA化しているからです。

「お父さんたちの頃はさあ、〇〇〇が凄く嫌だったんだ、それに引き換えお前らは・・・。」

〇〇〇の中には、恐らく昭和後期のあらゆる特徴が入るのではないかと思われます。

侑李さんたちは、昭和後期を見て来たわけではありませんから、お父さんの体験談を鵜呑みにするしかありません。

井上雄彦さんや森田まさのりさんなど、私と同学年の少年漫画家が、いずれも80年代の中学・高校を舞台にしていると思われる漫画を描き、現在のこどもたちはそれを受け取っています。

私が中学・高校時代に感じた同世代に対する異質感が、このようなところで顕在化しているのかもしれません。

70年代こども時代が最高だった、1966年生まれ少数派としての役割を早く果たしたいところです。

男女の違いが消えることはない

私の勤務校で卒業式が行われました。

卒業生が、一人ずつ将来の希望を述べるのですが、女の子ならデザイナー、薬剤師、保育士…。男の子なら、正社員、一家の大黒柱、マイホームを持つこと…。

女の子は美の追求や弱者を癒すことに関心が高く、男の子は経済的自立に関心が高いことが分かりました。

従来世代と変わりません。

しかし、私が勤務する自治体は、大変男女共同参画に熱心なのですよね。

土木作業員になりたい女の子や、美容師になりたい男の子が育っても不思議ではないのですが。

1986年の男女雇用機会均等法施行、1989年の学校における体育の男女共修化など、昭和末期以来男女の壁をできる限り薄くする政策が積み重ねられています。

しかし、そうした育て方をしても男女の違いは従来世代と変わらないわけですから、「男らしさ・女らしさは“隠れたカリキュラム”の結果だ」とするジェンダーフリー運動の批判は当たらないように思えます。

政治の反映

ズッコケ三人組』作者の那須正幹さんは、『ズッコケ熟年三人組』の後書きで、シリーズを終えるに当たって、次のように書いています。
「作者としては、これ以上年齢を重ねた彼らを書いていく自信がない。・・・更に言えば、この国の行く末である。私が子供版の三人組を書くに当たって常に心に描いていたのは、彼らが平和と民主主義の申し子であるということである。彼らがあれだけ自由に活躍できたのも、ひとえに日本が平和で民主的な国柄であったからである。しかし、戦後70年続いて来た平和で民主的なこの国に暗雲が掛かり始めた。果たしてこの後何年戦後であり続けるのか、心もとない。もしかすると、戦前になるかもしれない時代に、とても三人組の物語を書き続ける気になれないのである。」
私は昨夜、高文研主催の「日本リベラル派の頽落」という対談を聴きに行きました。
対談したのは、東京経済大学教授で在日韓国人徐京植さん、2014年の東京都知事選挙に出馬した弁護士の宇都宮健児さんです。
1990年代半ばまでは、国旗・国歌法は存在せず、学校現場に日の丸・君が代が強制されることもなく、憲法9条の改廃が公然と主張されることもなかった、ヘイトスピーチが溢れることもなかった、仮にそういうことが起きれば、日本リベラル派(社会党・総評グループ、朝日・毎日・東京新聞とその読者層)が押し返すことができた、僅か20年の間に日本社会はかくも遠くまで来てしまった、と。
更に困ったことに、20歳の青年は生まれた時から上記のようなものが存在する社会に生きており、逆に言えばそういうものが存在しない社会を知らない、と。
最近の20代に自民党支持者が多く、9条改正推進を革新、9条改正反対を保守と考えるのは、20数年の自分の経験に照らしてのことなのですよね。
最近の20代に事情を知らせるためには20代に歴史教育をしなければならない、と言っていました。
ズッコケ三人組が自由に活躍できた背景の部分ですよね。
本会では、「昭和後期のこどもの文化は、1990年代半ばに断絶した」と言っていますが、これは大人の世界で起きたことが反映しているのですよね。

強者、日本男児

新座市立大和田公民館で、「体罰と指導死」についての学習をしました。

体罰面従腹背させるだけで内面変化を来さない、最後の手段とは言っても恣意的運用を招く、というものだそうです。

日本と言うのは不思議な国で、昭和20年代にはアメリカ流の自由主義個人主義教育を導入していたのですが、昭和30年代に入ってから、集団主義精神主義に回帰して行ったのですよね。

アントン・マカレンコが流行したのはこの時期です。

個人を指導するのではなく、班を指導し、競争で最下位を取ったボロ班には罰を与えたのです。

スプートニク・ショック(昭和32年・1957年)による社会主義信仰。

その社会主義信仰を、軍隊経験ありの戦前世代が運用したから、至って日本的な連帯責任の世界になったのでしょうか。

終戦当時25歳の人なら、この時期37歳です。

昭和末期の臨時教育審議会は、「21世紀は情報化と国際化の時代である」と予言し、個性重視の原則をぶち上げました。

教室から連帯責任を消して行ったのは、連帯責任の意義を理解しない帰国子女であったとすると、大変象徴的ですよね。

少女漫画の美男子

一昨日、NHKテレビで「日本人のおなまえっ」が放映されました。

好きな名前でなく、好きな名字を聞くと、10位に武者小路が来て1位に西園寺が来るそうですね。

公家の名字なのですが、身分が高そうなところがいいのではなく、響きがいいところがいいそうなのです。

響きの良さは、赤ちゃんの命名にも重要な基準になっています。

1988年のこと、学部の社会学の教授は、「こどもにテレビの影響はないという研究結果が出ている」と言明していました。

出ているではありませんか。

大宅壮一松本清張が危惧した「一億総白痴化」が実現しています。

現代人にとっては、大宅壮一松本清張は小うるさいジジイなのでしょうか。