昭和後期こどもの歴史研究会

平成時代の社会変化で、その直前の昭和後期こどもの歴史は忘れられています。お金にならないため、企業も投資したがりません。人間の幸福感の問題として、昭和後期のこどもの文化を、現在のこどもたちに伝えていく努力をしたいです。昭和後期のこどもの文化に幸福を感じる現在のこどもを、一人でも育てられたら嬉しいです。

駆け出しの消費社会

最近、我が家の近所に昭和レトロ喫茶が開業しました。

客席の周囲に、年代物の自動車や家電製品などを展示しているのですが、いずれも昭和30年代、昭和中期のものなのです。

一緒に行った友人に、「昭和前期や昭和中期には企業が投資するが、昭和後期には投資しない」と不満を漏らしました。

すると友人は、「昭和後期は駆け出し。バブル期にお金を掛ければ洗練されたものになることを気付いた」と答えました。

そうなのかもしれません。

「日本でコンビニ、ファミレス、ファストフードといった消費社会が始まったのは、70年代半ばである」と横浜国立大学の高橋勝教授は述べています。

私が小学校高学年だった70年代後半、テレビのCMでビジネスマンが各国語で挨拶してみせ、最後に「こんにちは」で締めくくるといったものがありましたが、このCMは90年代以降の国際競争の原型であると考えられます。

「駆け出し」が「未熟」に置き換えられれば、知念侑李さんがひょっとしたらお父さんから教わったかもしれない認識に結び付くことになるでしょう。

教育委員会生涯学習課の職員から、「児童映画は70~80年代ではない。60~70年代だ」と指摘されました。

「70~80年代」だと、「駆け出しの消費社会」という意味になり、現在よりも進んでいないことが前提となりますが、「60~70年代」だと消費社会とは別の文脈になる可能性があります。

社会変化は天気か

先日、勤務校の離任式があり、その後飲み会がありました。

教務主任が、「教育における不易と流行」について言及されていました。

本会の基本的な研究課題です。

不易と流行の選別基準についての視点が欲しいと思いましたが、「捨てるものは捨てていい。変化を恐れてはならない」と仰るに留まりました。

しかし、ここで注目すべき点は、変化というものがまるで自然現象のように捉えられている点です。

朝日新聞で読んだことがあるのですが、竹中平蔵さんが小泉時代に「グローバル化は現象ではない。ファクトである」と述べ、人間としてはこれに適応するしかないかのような捉え方をされていました。

が、最後には「グローバル化は人々が豊かさを求めた結果である」と述べ、グローバル化の原因が人々の豊かさ願望の結果であることを認めていました。

現在起きている変化の多くは、1980年代に源泉がある場合が多いと思われます。

現在のこどもたちに、変化が起きる前の社会を教えることが大事です。

自分の生まれた社会を、客観的に見詰められるようにしなければなりません。

「まってました、転校生!」を覚えていますか

1985年11月、私は大学生になっていましたが、私の出身小学校の体育館でこの作品の上映会が開かれるということで、見に行ったことがあります。

予告編で、この3月に4代目あばれはっちゃくを卒業した坂詰貴之くんが登場しました。

どこから見ても小学生とは言えないような体格になっていました。

会場にいたこどもたちから、歓声が上がりました。

この時期の小学生たちとは、映像作品としての「あばれはっちゃく」を共有していたのです。

さて、肝心の内容と言えば、旅の一座の小学生男子が各地を転校して回る物語という他は、あまり覚えていません。

本会の次の上映会で何を扱うかを検討していて、この「まってました、転校生!」が浮上しました。

幸い隣の市の図書館に原作が所蔵されており、借りて読んでみることにしました。

1984年6月刊行。

傷も染みも黴の匂いもなく、保存状態は大変良好です。

新刊に遜色がありません。

作者は布勢博一さん。

本業は脚本家で、「男一匹ガキ大将」「熱中時代」「天までとどけ」などの脚本を手掛けていらっしゃいます。

ご自身がこども時代に中国と日本を行き来した体験を基に執筆されているようです。

主人公の下山明は小学校4年生。

1984年の小学校4年生ですから、1974年生まれであると考えられますが、1983年に学習研究社『五年の学習』に掲載されていると言いますから、1972年生まれかもしれません。

服装は冬でも半袖・半ズボンと指定されています。

転校するなり、短い在学期間で効率的に人間関係を作るために、クラスで一番強そうな子と喧嘩をするそうです。

教員仲間が言っていましたが、今の男の子の優しい目付きに比べて、一昔前の男の子の目付きが鋭いのは、よく喧嘩をしたからだそうです。

喧嘩シーンが何回も出て来ます。

児童文学の男性作家は、喧嘩シーンの描写が巧みであることが多いですが、今のこどもは「痛いの嫌いだし、怖いの嫌いだし」と言い出さないでしょうか。

そうして、旅の一座というものが、今のこどもに理解されるかも自信がありません。

私でも実物を見たことがありませんから。

あばれはっちゃく」の作者・山中恒さんが、『現代こども文化考』の中で、「髷物が今のこどもに受けないのは出版界の通説である」と述べています。

インターネットで、古い作品の代名詞ように言われる作品の作者がそう仰るわけですから、相当の古さであると考えていいでしょう。

今のこどもの親世代の創作ではなく、祖父母世代の創作を紹介することになりますよね。

「時代を超えて普遍的に通用する作品か」という点を検討しなければなりません。

日本型衣生活

テレビのルポルタージュによれば、小学校の卒業式で、女の子は袴、男の子も羽織が普及しているそうですね。

私の勤務校の卒業式もそうでしたが。

特に男の子は、旧来おしゃれには無頓着なものであり、母親主導のおしゃれ教育は言ってみれば生活水準の質的向上なのでしょうか。

「失われた20年」と言いながら、従来世代を圧倒するような「質的向上」がどこから出て来るのかは不明です。

バブル時代、大学生だった私は、「今の日本は豊か過ぎる」と述べたものですが、この意見にぽかんとする人たちが少なくありませんでした。

ぽかんとした人たちは、永遠にバブルを続けたかったのでしょうね。

バブルというものが、人間の根源的な物欲を捉えており、バブル時代のシャワーを浴びた母親が、永遠にバブル時代を卒業できないままでいる可能性はありますよね。

農林水産省が、1975年の食生活を「日本型食生活」と命名してモデル化しようとしたものを、国民がこれを無視して食生活を変化させていったのと原因は同じであるかもしれません。

こども文化も、1975年をモデル化させてみたいものです。

少数派の孤独

ジャニーズの知念侑李さんは、体操選手の知念孝さんの息子さんだそうですね。

お父さんは、1967年3月25日生まれだそうで、私と同学年です。

さて、「♪昭和無理、どっから見ても平成がいい」は、ひょっとしてお父さんの影響でしょうか。

私と同学年の人たちが、あまりにも見事に70年代こども文化を中学校真ん中辺りに卒業し、その後身に付けた80年代若者文化をDNA化しているからです。

「お父さんたちの頃はさあ、〇〇〇が凄く嫌だったんだ、それに引き換えお前らは・・・。」

〇〇〇の中には、恐らく昭和後期のあらゆる特徴が入るのではないかと思われます。

侑李さんたちは、昭和後期を見て来たわけではありませんから、お父さんの体験談を鵜呑みにするしかありません。

井上雄彦さんや森田まさのりさんなど、私と同学年の少年漫画家が、いずれも80年代の中学・高校を舞台にしていると思われる漫画を描き、現在のこどもたちはそれを受け取っています。

私が中学・高校時代に感じた同世代に対する異質感が、このようなところで顕在化しているのかもしれません。

70年代こども時代が最高だった、1966年生まれ少数派としての役割を早く果たしたいところです。

男女の違いが消えることはない

私の勤務校で卒業式が行われました。

卒業生が、一人ずつ将来の希望を述べるのですが、女の子ならデザイナー、薬剤師、保育士…。男の子なら、正社員、一家の大黒柱、マイホームを持つこと…。

女の子は美の追求や弱者を癒すことに関心が高く、男の子は経済的自立に関心が高いことが分かりました。

従来世代と変わりません。

しかし、私が勤務する自治体は、大変男女共同参画に熱心なのですよね。

土木作業員になりたい女の子や、美容師になりたい男の子が育っても不思議ではないのですが。

1986年の男女雇用機会均等法施行、1989年の学校における体育の男女共修化など、昭和末期以来男女の壁をできる限り薄くする政策が積み重ねられています。

しかし、そうした育て方をしても男女の違いは従来世代と変わらないわけですから、「男らしさ・女らしさは“隠れたカリキュラム”の結果だ」とするジェンダーフリー運動の批判は当たらないように思えます。

政治の反映

ズッコケ三人組』作者の那須正幹さんは、『ズッコケ熟年三人組』の後書きで、シリーズを終えるに当たって、次のように書いています。
「作者としては、これ以上年齢を重ねた彼らを書いていく自信がない。・・・更に言えば、この国の行く末である。私が子供版の三人組を書くに当たって常に心に描いていたのは、彼らが平和と民主主義の申し子であるということである。彼らがあれだけ自由に活躍できたのも、ひとえに日本が平和で民主的な国柄であったからである。しかし、戦後70年続いて来た平和で民主的なこの国に暗雲が掛かり始めた。果たしてこの後何年戦後であり続けるのか、心もとない。もしかすると、戦前になるかもしれない時代に、とても三人組の物語を書き続ける気になれないのである。」
私は昨夜、高文研主催の「日本リベラル派の頽落」という対談を聴きに行きました。
対談したのは、東京経済大学教授で在日韓国人徐京植さん、2014年の東京都知事選挙に出馬した弁護士の宇都宮健児さんです。
1990年代半ばまでは、国旗・国歌法は存在せず、学校現場に日の丸・君が代が強制されることもなく、憲法9条の改廃が公然と主張されることもなかった、ヘイトスピーチが溢れることもなかった、仮にそういうことが起きれば、日本リベラル派(社会党・総評グループ、朝日・毎日・東京新聞とその読者層)が押し返すことができた、僅か20年の間に日本社会はかくも遠くまで来てしまった、と。
更に困ったことに、20歳の青年は生まれた時から上記のようなものが存在する社会に生きており、逆に言えばそういうものが存在しない社会を知らない、と。
最近の20代に自民党支持者が多く、9条改正推進を革新、9条改正反対を保守と考えるのは、20数年の自分の経験に照らしてのことなのですよね。
最近の20代に事情を知らせるためには20代に歴史教育をしなければならない、と言っていました。
ズッコケ三人組が自由に活躍できた背景の部分ですよね。
本会では、「昭和後期のこどもの文化は、1990年代半ばに断絶した」と言っていますが、これは大人の世界で起きたことが反映しているのですよね。