昭和後期こどもの歴史研究会

~こどもは生まれる社会を選べない。生まれた社会に適応するだけである。Byエミール・デュルケーム~ 昭和後期のこどもが育った社会はどういう社会だったのでしょう。 それは、現在のこどもが育つ社会とはどのように違ったものだったのでしょう。 昭和後期に育ったかつてのこどもたちが、現在のこどもたちに、自分たちの育った社会を語り伝えたいと思います。 それが現在のこどもたちの歴史認識となり、彼らが未来を選択していく上での糧となることを願います。お問合せは、info★takuboy.net。★を@にして下さい。

小中一貫教育は、ガキ大将の価値を知らない

今から1年前、臨時的採用小学校教員の口を探して、多くの自治体の教育委員会の窓口を訪ねていました。

ある自治体で、たまたま教育委員会に来ていた市内小学校の教頭先生の車に乗せられ、現場を見学することになりました。

この自治体は、小中一貫教育に熱心でした。

一部の学校では、施設も教職員も教育課程も完全に小中を統合してしまい、5年生から部活に参加、6年生修了時には5年生以下と同じ修了式を執り行い、卒業式は9年生修了時に行う、というものでした。

最近のこどもは、情報の影響により、小学校高学年は実態としてはむしろ中学生に近い、小学校のリーダーシップは4年生に期待する、とも聞かされました。

臨時教育審議会以降、学校教育はこどもの実態に合わせる道を選んでいます。

しかし、5~6年生を「中学生の後輩」にしてしまうことは、「夢多きこども時代」を理解しない愚行であると言わざるを得ません。

あばれはっちゃく」の原作は、「花の小学生大作戦」という最終章で締めくくっていますが、桜間長太郎くんも小学校の高学年であるからあのような活躍ができたと思うのです。

もし桜間長太郎くんが小学校4年生であったらあれだけの活躍をする知力も体力もなかったと思いますし、もし中学生であったら部活の先輩の尻に敷かれてあれだけの天衣無縫な振る舞いはできなかったのではないでしょうか。

横山充男さんの「四万十川物語 光っちょるぜよ!ぼくら」も、作者の小学校6年生時の体験を基にした作品であり、小学校6年生の知力と体力を前提にしています。

小中一貫教育を行ったら、小学校6年生のリーダーシップを前提にした一昔前の児童文学は読めなくなります。

また、中学生たちは5~6年生にいい影響を与えるでしょうか。

特に多くの5年生は思春期前です。

部活を通じて知り合った9年生から、セックスの誘い、深夜徘徊や盛り場徘徊の誘い、薬物の誘い、暴力団との付き合いの誘い・・・とあらゆる10代の非行が低年齢化する危険性があります。

10代の非行は、今までは小中学校が別であることで堰き止められていたものであり、兄・姉がいない限り小学校卒業前のこどもには拡大しないものでした。

公立義務教育は、同じ地域に住む全てのこどもが入学して来るものであり、「中学生世代からのいい影響」ばかりを期待する大人たちは、ご自分の校内暴力体験をどう考えているのでしょう。

小中一貫教育の魅力は新しさであるとも聞かされました。

新しさの波に乗って、ジェンダーフリーも普及したのでしょうね。

21世紀を前にし、急速な技術革新を目の当たりにして、新しい生活様式、新しい人間関係が人々の心を魅了したとしても不思議ではありません。

「○○の概念は時代と共に変わるもの」という言葉が決め台詞になる現代です。

○○の中には、「こどもらしさ」だけではなく「憲法」が入っても説得力を持ちます。

そうして、時代の変化なるものは自然の流れの結果ではありません。

一人一人の選択の結果であり、「みんな」がいいとするものを選ばないこともできます。

私は、明星大学博士後期課程で「情報がこどもに与える影響」の研究をしたいと考えましたが却下されました。

教育学研究科では「教室の中」の研究をするばかりであり、「教室の外」の研究は教育学の対象外になっているようです。

「情報」は「教室の外」の出来事であり、学校教育としても抗いようのないものなのでしょうか。