昭和後期こどもの歴史研究会

~こどもは生まれる社会を選べない。生まれた社会に適応するだけである。Byエミール・デュルケーム~ 昭和後期のこどもが育った社会はどういう社会だったのでしょう。 それは、現在のこどもが育つ社会とはどのように違ったものだったのでしょう。 昭和後期に育ったかつてのこどもたちが、現在のこどもたちに、自分たちの育った社会を語り伝えたいと思います。 それが現在のこどもたちの歴史認識となり、彼らが未来を選択していく上での糧となることを願います。お問合せは、info★takuboy.net。★を@にして下さい。

ソ満国境・15歳の夏

今日、午前中、春日部市民文化会館で実施された、医療生協さいたま主催の上映会を見て来ました。

『ソ満国境・15歳の夏』

開始時、スクリーンに「児童向け」ではなく「少年向け」と書いてありました。

17歳でも児童福祉法の対象であり、一方でボーイソプラノを張り上げる小学生の少年少女合唱団もおり、で誰が児童で誰が少年であるかを定義ができません。

ただ、川崎で起きた中1リンチ殺害事件では、被害者に対して一貫して「少年」という呼称が使われているところを見ると、小学生以下に対しては「児童」、男子に限れば中学生・高校生に対しては「少年」が妥当であるのかもしれません。

そうして、終戦時に中学校3年生だったと言えば、私の父の一番上のお兄さんがそうなのですよね。

自宅で防空壕を掘っていて、鼻血を出して廊下で寝ているところに日本敗戦の知らせを聞いて、「日本が戦争に負けるはずがない」と怒ったという話を思い出しました。

そのお兄さんも、4年前に亡くなっています。

私は戦後20年以上経過してから生まれており、日本がかつて戦争をしていた事実は、上記のような上の世代の伝承か、博物館の展示でしか知ることはできません。

第二次世界大戦を知る世代が70代後半以上になり、一人一人いなくなり、第二次世界大戦は過去に起きた戦争の一つに過ぎなくなるのだろうな、と感じました。