昭和後期こどもの歴史研究会

平成時代の社会変化で、その直前の昭和後期こどもの歴史は忘れられています。お金にならないため、企業も投資したがりません。人間の幸福感の問題として、昭和後期のこどもの文化を、現在のこどもたちに伝えていく努力をしたいです。昭和後期のこどもの文化に幸福を感じる現在のこどもを、一人でも育てられたら嬉しいです。

柔らかい春の日差しを思い出す

CSホームドラマチャンネルで、「あばれはっちゃくスペシャル「俺は男だ!あばれはっちゃく」(1982年正月)と「男三人!あばれはっちゃく」(1982年3月)が放映されました。

いずれも私が高校受験生の頃に放映されたものです。

今回、「男三人!あばれはっちゃく」を興味深く見ました。

2代目桜間長太郎(栗又厚くん)が、3代目桜間長太郎(荒木直也くん)にバトンタッチする物語です。

まず、新宿の高層ビル群を遠景に、その麓にある桜間長太郎の住む地域を映します。

火事になったら燃えてしまいそうな木造住宅群です。

この構図に、私は1988年夏季オリンピック前のソウルの写真を重ね合わせました。

高層ビルの麓に、トタン作りの住宅群があり、住宅の前の空き地にはロープが張ってあり洗濯物が吊るしてあります。空き地では、こどもたちが遊んでいます。

先進国に近付いたとは言えまだあちこちに貧しさが残っている、それがソウル…とこの写真を撮った日本人カメラマンは言いたかったのでしょうね。

1982年の東京にも、同じような風景があったことが分かりました。

しかもそれは、建築が派手で巨大になる以前の東京の風景であり、日本の庶民が生きた証として、是非次代に残したい風景であると思うのです。

そうして、物語は剣道を軸にして展開していきます。

司馬遼太郎さんが言っていました。

日本の歴史の特殊性は、島国であること、そうして武士が存在すること、この二つに規定されている、と。

日本は、古来中国文化圏に属しているとは言え、儒教の影響は限定的で、科挙は結局導入されず、代わりに尚武の伝統の下で集団・規律・秩序が重視されていきます。

日本に生まれてよかったなあ…という気持ちにさせてくれる作品、それが「あばれはっちゃく」です。

『Jポップの心象風景』(文春文庫)だったと思うのですが、著者の烏賀陽弘道さんが述べていました。

「Jポップという言葉が誕生したのが、1988年秋。世界に通用する日本音楽という意味である。Jポップはフォークソング・ニューミュージック・ジャズなど、それまであったあらゆるジャンルを網羅していったが、唯一採用されなかったジャンルがあった。演歌であった。演歌が日本土俗的であるという理由で採用されなかったのである。
Jポップは洋楽の影響を受けていなければならず、しかもどの洋楽の影響を受けているかを語れなければならなかった。1988年と言えば、バブルの絶頂期あり、“日本はアメリカに戦争に負けたが、経済で勝った”という言説がまかり通った時期である…。」

現在の日本では、「バブルに戻りたい」という人は大勢いても、「バブル以前に戻りたい」という人を見掛けないのが不思議です。

欧米人に近付くことが文明化の道であり、日本オリジナルを身に付けることは野蛮人に落ちることである、という気持ちがどこかにあるのではないでしょうか。

最近、「あばれはっちゃく」が角川つばさ文庫で刊行されましたが、萌え絵タッチであっては「あばれはっちゃく」は表現できないと考えます。

顎が細く、手足が細長い桜間長太郎は、日本固有のガキ大将を表現していません。

今回、ホームドラマチャンネルで再放送をしてもらったにしても、契約している家庭はそう多くはないでしょうから、今のこどもたちの目に触れることもほとんどないでしょうね。

地上波、できればテレビ朝日で、平日16時~17時台に再放送してもらいたいものです。

今のこどもたちに、新しさと伝統を対等に捉えてもらいたいです。

物語の最後に、初代・吉田友紀くんと2代目・栗又厚くんが、3代目・荒木直也くんを腕に乗せ、その“襲名”を祝福していました。

1982年の春休みの太陽の光は、今と比べて柔らかかったような気がします。

ひょっとしたらあれが地球温暖化以前の日差しであるのかもしれません。