少年と心身の成長と経済成長と
福島市野田児童センターまつりに行って来ました。
6月12日(日)でした。
児童センターまつりは、遠い未来のように思っていました。
上映会だけ行って、その場限りの旅人に終わりたくないと「来年6月の児童センターまつりに参加したい」とセンター長に申し上げたのが、昨年11月の再訪時でした。
「シャボン玉コーナーを東京の人に担当してもらっており、前例がある」とのお返事でした。
ただ、私が担当した「靴飛ばし」コーナーは閑古鳥。
隣の的当てコーナーが、特に努力をしなくとも、常に行列ができていたのと対照的でした。
「靴飛ばし」をスタンプラリーの一環にでも位置付ければ、もっと多くの来客があったのではないかな、と思います。
昨年11月から7か月が経っており、こどもは大きくなっていました。
「靴飛ばし」コーナーでお客を探していたら、右斜め下に視線を感じました。
私がそちらのほうを見たところ、上映会時に「子役の顔が渋い」と発言したK君がいました。
そうして、K君が隣のコーナーで的当てをしている姿を見て、投球の力が強いことにびっくりしました。
4年生になり、急に体力が付いたのですよね。
K君が「これから野球の練習がある」とそそくさと帰って行くのを見送り、もし1年後に会ったら見違えっているだろうな、と思いました。
ずっと見ていればあまり感じないのかもしれませんが、たまに会って急にこどもが成長していると、自分が置き去りにされた感じがします。
一方、私に焼き鳥を差し出した4年生のA君。
私はA君を初対面かと思いました。
しかし、A君は昨年の上映会に来てくれており、「少年が山登りする映画を見た」と語りました。
K君のように目立った言動があったわけではなかったので、私はA君に気付いていませんでした。
ここでは、「少年」という単語選択に注目すべきでしょう。
横文字が氾濫し、感覚的な言葉が横行するこの現代で、あえて「少年」という漢語を選択したところを見ると、登場人物たちを「少年」という言葉で表すのが相応しい要素があったのでしょうか。
「少年探偵団」と言うように、「少年」という言葉は平成生まれの幼少期に対して使うのではなく、昭和生まれの幼少期に対して使うのが相応しいとも考えられます。
「少年」の成長イメージと、経済成長のイメージを重ね合わせられた、と解釈するのも考え過ぎではないような気もします。
経済成長期にたまたま自分の成長期が重なった人は、自分の成長期に思う存分自分の「少年」性を発揮できる、とも勝手に推論できますよね。