昭和後期こどもの歴史研究会

~こどもは生まれる社会を選べない。生まれた社会に適応するだけである。Byエミール・デュルケーム~ 昭和後期のこどもが育った社会はどういう社会だったのでしょう。 それは、現在のこどもが育つ社会とはどのように違ったものだったのでしょう。 昭和後期に育ったかつてのこどもたちが、現在のこどもたちに、自分たちの育った社会を語り伝えたいと思います。 それが現在のこどもたちの歴史認識となり、彼らが未来を選択していく上での糧となることを願います。お問合せは、info★takuboy.net。★を@にして下さい。

『先生は一年生』その4 「転校生はアメリカ人!」(1981年11月11日放映)

円のクラスに、アメリカ人の父と日本人の母を持つ、ワーテンビー・リチャード・太郎が転入して来ました。

太郎は、クラスで「太郎」と呼ばれそうになりましたが、岡崎太郎も「太郎」と呼ばれており、岡崎としてはいい気がしません。

放課後、「テスト」をし、リチャードが負けたら「学校で太郎という名前は使用しない」ということになりました。

長谷川将がアンパイアをすることになりました。

リチャードと岡崎は、うさぎ跳びをしたり、逆上がりをしたり、倒立をしたりしたものの、勝負は互角でした。

息を弾ませながらリチャードと岡崎は顔を見合わせ、リチャードがポケットからハーモニカを取り出し、「草競馬」を演奏しました。

「君吹いてみる?」とリチャードは岡崎にハーモニカを突き出しましたが、岡崎は「だめ、俺吹けない」と尻込みしました。

「じゃあ名前を変えなくてもいい。先生に太郎と言われても、岡崎は文句を言わない」と長谷川が審判を下しました。

二人は同時に笑い、仲直りができました。

さて、リチャードが円にスタンドを贈ったことが、両親の間で問題になりました。

それを不適切と考えるリチャードの父が、学校に行き円に会うことにしました。

リチャードの父は、日本の大学で日本文学史を教えています。

学校に着いてから、リチャードの父は、こどもたちが花壇を踏み荒らしていることに気付きました。

注意しても言うことを聞きません。

リチャードの父は、「大人としての義務」であるとして、葛生を抱え上げてズボンを下してお尻を叩き始めました。

葛生の父が、PTAに訴える騒ぎとなりました。

しかし円はこの問題を4年4組のこどもたちに討議させ、大変正論な結論を導き出していました。

あまりの正論に怖気付いたのか、もうPTAは何も言いませんでした。

PTAの理事は、「きれいごとを言わずに、実利を取るのが経済大国・日本の基盤である」と述べました。

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『先生は一年生』で検索を掛けると、この物語が動画投稿されています。

私もお尻を叩く場面は覚えていますが、動画にもある「テスト」の場面は覚えていませんでした。

改めてノベライズを読んでみると、こどもの人間関係と大人の人間関係を同時進行させていることに気付きます。

こどもの心に国境はなく、意気投合できたらそのまま友達となります。

正論が正しい世界です。

一方の大人は、損得で動いてしまいます。

正論よりも、利益になる言説のほうに説得力があるでしょう。

それはいつの時代でも同じなのでしょうが、この時期の日本は、まごうことなく経済大国でした。

1964年東京オリンピックから、まだ17年しか経過していませんでした。