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昭和後期こどもの歴史研究会

~こどもは生まれる社会を選べない。生まれた社会に適応するだけである。Byエミール・デュルケーム~ 昭和後期のこどもが育った社会はどういう社会だったのでしょう。 それは、現在のこどもが育つ社会とはどのように違ったものだったのでしょう。 昭和後期に育ったかつてのこどもたちが、現在のこどもたちに、自分たちの育った社会を語り伝えたいと思います。 それが現在のこどもたちの歴史認識となり、彼らが未来を選択していく上での糧となることを願います。お問合せは、info★takuboy.net。★を@にして下さい。

あさま山荘45年

3月9日(木)、BS朝日で、「あさま山荘45年」を見ました。
連合赤軍の関係者は、自殺した人や病死した人を別にすれば、まだ漸く老境に達した年頃なのですよね。

何せ私はまだ幼稚園の年少でしたので、遥かに古い事件のように思えます。

赤塚不二夫天才バカボン」曙出版刊18巻(1974年)106頁「ポリ公ニューフェイスなのだ」では、交番に着任した新しい警察官が、「学生がいってるソウカツってやつをよう、やりてえなおれもあつさしのぎによお!!」と発言しています。

総括。

あの頃は、人間の身体や生命の値打ちが今よりも低かったと思います。

第二次世界大戦中に、人間の身体や生命の値打ちが国家の値打ちの足元にも及ばなかったのだとするならば、戦後27年を経過したこの時期には、そういったものの値打ちは革命の値打ちの足元にも及ばなかったのだと考えられます。

第二次世界大戦終結で戦争は終わっておらず、戦争の第2ラウンドとして冷戦が始まったとする捉え方には説得力があると思いました。

一連の連合赤軍事件の後、団塊の世代を中心とした学生の政治運動は急速に萎んで行きましたが、新人類世代を中心に新たに宗教系の学生運動が台頭して来ます。

学生運動の第2ラウンドと言ってもいいかもしれません。

あさま山荘事件から24年後にオウム真理教事件が起きます。

既にソ連は消えています。

オウム真理教事件を契機に、「人間は死にたくない」という気持ちを基調にした危機管理思想が台頭するのですよね。

そうして人権意識の急高騰。

個人の値打ちは、他の何にも代えがたいとされるようになりました。

戦争が遠のいたからだとも言われます。

とは言え、インタビューに応えた連合赤軍の関係者が、現代の人権感覚で事件を反省していることにどこか違和感がありました。

補助金を貰うのに必要だから」と現在では自民党員になっていることと無関係ではないのかもしれません。

オウム真理教事件の時に警察庁長官であった國吉孝次さんは、あさま山荘事件の時には軽井沢の現場で指揮を取っていたと言いますね。

「適応」を巡る先行世代の転身ぶりに見習うべきなのでしょうか。