おさるのかごや
朝日新聞1月12日(金)付けオピニオン欄、「異論のススメ」。
保守系思想家の佐伯啓思さんが、「明治維新150年-矛盾はらんだ日本の近代」という文章を寄稿しています。
明治維新以来の日本の近代は、その中間に第二次世界大戦があり、第二次世界大戦を挟んで前半と後半に分けられるそうです。
前半の行き着く先が戦争だったとするなら、後半の行き着く先はグローバル化なのだそうです。
グローバル化の内実は西洋化であり、西洋化の内実はアメリカ化だそうです。
知識であれ、制度であれ、生活様式であれ、西洋流(と言う名のアメリカ流)を先進文明と見做してひたすら模倣し、しかもそれを日本の先端で誇るというのは奴隷根性だそうです。
その通りですね。
前近代の東アジアでは、アメリカを中国にそのまま置き換えられました。
この寄稿が掲載された日、私はたまたまJR東海道本線に乗っており、小田原駅を通過しました。
小田原駅の発車の合図は「おさるのかごや」。
日本の土俗的なメロディーだな、と感じました。
先日も述べたように、バブル期に生まれたJポップは、「旧来の日本の土俗的なものが死に、新しい西洋的なものに生まれ変わった」という神話の上に成り立っているそうです。
音楽産業は利潤追求の私企業であり、「あなたは、そういうものを求めているでしょ」と消費者の欲望を先に掘り起こすそうです。
西洋が力で世界を支配している近代、列強と対峙しつつ独立を維持するためには西洋文明によるしかないのであれば、日本土俗を捨て、西洋的(特にアメリカ的)なものに乗り換えようとする消費者は、国民としても頼もしい限りでしょうね。
テレビドラマ「あばれはっちゃく」が、バブル期を迎えると同時に終焉したのは、偶然ではなかったように思えます。