昭和後期こどもの歴史研究会

平成時代の社会変化で、その直前の昭和後期こどもの歴史は忘れられています。お金にならないため、企業も投資したがりません。人間の幸福感の問題として、昭和後期のこどもの文化を、現在のこどもたちに伝えていく努力をしたいです。昭和後期のこどもの文化に幸福を感じる現在のこどもを、一人でも育てられたら嬉しいです。

強者、日本男児

新座市立大和田公民館で、「体罰と指導死」についての学習をしました。

体罰面従腹背させるだけで内面変化を来さない、最後の手段とは言っても恣意的運用を招く、というものだそうです。

日本と言うのは不思議な国で、昭和20年代にはアメリカ流の自由主義個人主義教育を導入していたのですが、昭和30年代に入ってから、集団主義精神主義に回帰して行ったのですよね。

アントン・マカレンコが流行したのはこの時期です。

個人を指導するのではなく、班を指導し、競争で最下位を取ったボロ班には罰を与えたのです。

スプートニク・ショック(昭和32年・1957年)による社会主義信仰。

その社会主義信仰を、軍隊経験ありの戦前世代が運用したから、至って日本的な連帯責任の世界になったのでしょうか。

終戦当時25歳の人なら、この時期37歳です。

昭和末期の臨時教育審議会は、「21世紀は情報化と国際化の時代である」と予言し、個性重視の原則をぶち上げました。

教室から連帯責任を消して行ったのは、連帯責任の意義を理解しない帰国子女であったとすると、大変象徴的ですよね。