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昭和後期こどもの歴史研究会

~こどもは生まれる社会を選べない。生まれた社会に適応するだけである。Byエミール・デュルケーム~ 昭和後期のこどもが育った社会はどういう社会だったのでしょう。 それは、現在のこどもが育つ社会とはどのように違ったものだったのでしょう。 昭和後期に育ったかつてのこどもたちが、現在のこどもたちに、自分たちの育った社会を語り伝えたいと思います。 それが現在のこどもたちの歴史認識となり、彼らが未来を選択していく上での糧となることを願います。お問合せは、info★takuboy.net。★を@にして下さい。

4月30日の上映会を振り返って

こどもが積極的には来てくれませんね。

自分が知っている作品と作風が似ても似つかず、自分の周囲で作品に対する評判もない、というのでは、わざわざ出向いて見る気にはならないのでしょうね。

4月30日、上映が終わった後に中学校で英語を教えるSさんが「これから行きたい」と電話を掛けて来ました。

「こどもを連れて来るのか」と尋ねたら、「それだけの関係がない。一人で行く」とのことでした。

上映は終わっていたのですから、Sさんにお見せすることもできませんでした。

今までこどもに見せることができたのは、福島と山梨のケースです。

前者は、学童クラブに在籍するこどもが、クラブの事業の一環として見てくれました。

後者は、地域こども会に参加しているこどもが、地域の退職教員に呼び掛けられ、地域こども会の事業の延長線上で見てくれました。

共通している点は、見せる側と見る側のこどもとの関係が既に存在していることです。

Sさんが仰った通り、関係がない限りこどもに見てもらえません。

おととし夏に、深谷シネマがせっかく児童映画の上映会を実施したのに、こどもの来場者がなかったのは、関係のあるこどもがいなかったからです。

今年度は市内に会場は確保できますから、作戦を練り直してこどもが来場できる上映会にしたいです。

「懐かしさ」と「現代」の狭間で

本会の事務長が企画した上映会が、ふるさと新座館で開催されるので、29日から30日にかけて埼玉県へ行きました。29日のバーベキューは、屋外の爽やかな気候の中での食事で、遠足の時のお弁当の時間を思い出し、気分は良かったです。教員採用試験の勉強会のバーベキューですので、自分以外、皆、教師ですね。本会は「こども」に関わる活動、教師も「こども」に関わる仕事ということで、「教師」という仕事にも興味を持ちました。

翌30日は、1977年製作「先生のつうしんぼ」上映会で、参加者は2人でした。映画を見終わった後、感想や興味深い話を聞くことができ、収穫も大きかったです。ただ、こどもの参加者はゼロでしたので、やはり寂しかったですね。何十年前の児童映画を、今のこどもたちに興味を持ってもらえるのは並大抵ではないと思いました。

それでも以前開催した上映会の時のこどもたちの感想を聞くと、いい感触でした。今のこどもたちは、昔の児童映画を積極的には見たいとは思ってもらえないけど、見てもらえたら、面白いと言ってくれそうな自信はあります。「懐かしい」と「現代」には大きな壁があると感じでいます。その壁をどうやって取っ払うか、課題でもあります。「懐かしい」だけでは過去に落とし込まれてしまうので、70年代のこどもの世界を、現代の日常に融合させる工夫も必要になってきます。

「懐かしい」では終えないために

4月29日、埼玉県の荒川沿いの彩湖・道満グリーンパークで教員採用試験の勉強会のバーベキューがあり、東海地方在住の代表をお呼びしました。

初夏の一日、川辺の風に吹かれながら、午前中からの酒に酔いしれました。

翌30日、ふるさと新座館で「先生のつうしんぼ」の上映会を行いました。

親子映画の会の方と、新座市内で小学校教員をされている方が見えました。

「懐かしい!」「こういう教室を作りたい!」との声。

ただ、映画監督としては採算が取れない映画は作りたくないそうです。

「作りたい」という気持ちと、「見たい」という気持ちが連動した時に映画が生まれるそうで、どちらが欠けても映画は生まれないそうです。

「映画の中の世界と、現代との間にギャップがある。小学校での上映は難しいかも。上映するなら、幼稚園か保育園だ。上映会が行われていること自体が奇跡だ」とも評されました。

この映画には、ストーリーがあり台詞があります。

幼稚園児や保育園児では、恐らく動作しか鑑賞できないと思えます。

ギャップこそが、学習のきっかけになるのではないでしょうか。

テレビで育った仲

NHKテレビで、「子のつくお名前特集」を見ました。

街頭で、「子」の付く女性名についての印象を現在の若者に尋ねたところ、「ダサい」と男性が、「『子』の付かない名前に憧れていました」と女性が答えていました。

2016年の命名ランキングの女児第5位に「莉子」が入っていることを理由に、「子」復活の兆しとも言っていましたが、最近の女児に「子」を付けるにしても、音感を重視してたまたま「こ」という音が最後に来て、「子」という漢字を当てたもののように思えます。

意味を考えて「子」を付けているのかは疑問であると言えます

「子」 の付く女性名が激増したのは1900年前後で、ピークは1945年、その後1957年には早くもランキング10位圏内に「美」が現れているそうです。

「子」 の付く名前は、20世紀前半の名前であり、本会が研究対象にしている昭和後期には、既に衰退過程にあったのですね。

「子」 以外の名前を付けるのは、テレビの影響が大きいそうです。

テレビを見て育った世代が親になった1980年代からそういう命名が増えたそうです。

テレビ番組のキャラクターを見ているうちに、「こんな名前もいいな」と思えるそうなのです。

赤ちゃん命名研究家が、男児に「翔太」と命名するのは、テレビで育った親だと述べていましたが、これは女児にも該当しているのです。

私が学部学生だった1988年、ゼミの指導教員が「テレビが子供に与える影響はほとんどないという研究結果が出ている」と仰っていました。

その研究の着眼点がどこであったのか疑問に感じます。

北村充史『テレビは日本人を「バカ」にしたか?―大宅壮一と「一億総白痴化」の時代』平凡社、2007年を読み返してみたいと思います。

『先生のつうしんぼ』上映会を開きます

・2017年4月30日(日)午前9時

新座市立野火止公民館(ふるさと新座館)講義室3

・入場無料

・直接会場に見えても構いませんが、この記事をご覧になって見える方は、事前にご連絡をいただければ幸いです。

徒党

春日部市中央公民館に、「校庭に東風吹いて」を見に行って来ました。

間違えて春日部市民文化会館に行ってしまい、少し遅れてしまいました。

場面緘黙の小学校3年生の女の子を主人公にしています。

クラスでインコを飼っていて、誤ってそのインコを逃がしてしまい、最もインコを可愛がっていた男の子から追及されるものの、何も答えられません。

女の子は、そのまま不登校になってしまいました。

親に抵抗して物を投げ、そこでBGMに流れたのが「♪世界中のこどもたちが、一度に笑ったら・・・。」

殊更徒党を組むような歌ですよね。

ポンキッキで流れた歌でもあり、私が毎日ポンキッキを見ていたのも小学校3年生の時であることを思い出しました。

また、この歌は、私が小学校3年生の副担任をした時に、給食時にいつも流れていた歌であることも思い出しました。

さて、その男の子は転校することになります。

女の子は、学校に来ていなかったのですが、男の子が校門を出ようとしたところにやって来ます。

女の子は、男の子に絵を渡します。

男の子の手にインコが止まっている絵で、女の子が描いたものでした。

そうして、「♪世界中のこどもたちが、一度に笑ったら・・・」でTHE END。

小学校2年生までとは違って、3年生になると徒党という概念が入って来る、と私は考えています。

徒党が組めるようなこどもには教室は楽しい空間になりますが、そうでないこどもには辛い空間になるでしょうね。

 

平和な時代の平和運動

3月19日(日)、NHK-BS第1放送で、ある女性がこどもたちにヒップホップの指導をしている話が紹介されていました。

最後にその女性が、マイクに向かってヒップホップの精神を説明し、ヒップホップを通じてこどもに何を伝えたいのか語っていました。

「平和」ですよね。

ヒップホップのルーズファッションは、「フリースタイル」なのだそうです。

「フリースタイル」で、皮膚の色の違いを乗り越え、中身は同じ人間であることを理解し合う、と。

「自由」と「平和」ならば、朝鮮戦争の頃から、アメリカ側からずっと理想として語られて来たことなのですが、どこか違います。

個性主義だと思います。

先般も書いたように、この現代の一人一人はダイヤモンドの原石なのです。

皮膚の後ろに隠された中身とは、ダイヤモンドの原石であると言ってもいいと思います。

ダイヤモンドの原石は硬いので、ぶつかったらお互いに傷が付く恐れがあります。

朝鮮戦争の頃の「自由」や「平和」とは、軍隊やデモ隊などの集団・規律を通じて実現して行ったものではないでしょうか。

平和だから個人がダイヤモンドの原石になっている、とも言えるわけで、平和な時代の平和運動とは分かったようでよく分からないものです。