こどもでも大人でもない青年たち
日本大学アメリカンフットボール部の父母会が被害選手に謝罪したそうですね。
被害選手は一切出て来ず、被害選手の父親ばかりが出て来て監督の責任を追及している様に違和感を抱いてはいたのですが。
加害選手が20歳で成人なのですから、被害選手も恐らく成人なのでしょうね。
私の大学の同窓も、「最近の大学の入学式は、保護者同伴だ」と驚いていました。
しかし、驚いてはいても、批判はしていません。
疑問を感じつつも、「これも時代の流れかな」と受け入れて、自分のこどもも今風の価値・規範で育ててしまっているのです。
私の「若い」頃は、高校生と大学生の間にこどもと大人の一線が引かれていたと感じます。
一方でこの現代では、大学生と社会人との間にこどもと大人の一線が引かれていると感じます。
法的な成人ではなく、社会的な成人の時期が4年先送りされている感じです。
そうして、その一方で18歳選挙権に反対論はありません。
社会的引きこもりが専門の、精神科医の斎藤環さんなどは、「現在の青年たちの実態から言えば、成人年齢は18歳に引き下げるのではなく25歳に引き上げるのが相応しい」と述べていますが、その意見に対する共感はほとんどありません。
「18歳にもなって成人できないとすれば、親の育て方が悪い」とする意見が主流です。
現代っ子は甘やかされていると思います。
こどもの権利条約の影響で、早くから意見表明権が認められ、つまり意思能力が認められ、その一方で責任問題になったら親が出て来るのです。
「こどもに権利はない。あるのは周りの大人の養育義務だけだ」とする古い価値観からの脱却を目指すがあまり、現在のこどもがむしろ社会的には晩生になっているという現実に封印しようとするから、こういう矛盾が起きるのだと思います。