昭和後期こどもの歴史研究会

平成時代の社会変化で、その直前の昭和後期こどもの歴史は忘れられています。お金にならないため、企業も投資したがりません。人間の幸福感の問題として、昭和後期のこどもの文化を、現在のこどもたちに伝えていく努力をしたいです。昭和後期のこどもの文化に幸福を感じる現在のこどもを、一人でも育てられたら嬉しいです。

福島市鼓笛隊パレード2018

行って来ました。

3年前の夏、福島市野田児童センターで「ガキ大将行進曲」を見てくれた3年生たちが、6年生になり、今年出場したからです。

あの時のこどもたちがいました。

まるで別人になっていました。

「福島の学校の先生にならないんですか」と言われました。

福島県は、もともと人口が減っているため、小学校で臨時的任用の口が出ることはあまりありません。

臨時的任用の口が出るとしたら、中学校の技術や美術が多いと思います。

また、正規採用試験は長いこと新採用なら45歳まで、他県で正規採用された経験があれば50歳まで、という年齢制限を維持して来ました。

今年、何を思ったか年齢制限を緩和しています。

新採用なら50歳まで、他県で正規採用された経験があれば59歳まで、しかも水泳実技や鉄棒実技は廃止、残ったのはピアノ実技と陸上競技・マット運動程度のようです。

私が今回の制限緩和の恩恵に浴することはありません。

福島県教育委員会から見たら、1966年生まれは人生70年の旧世代なのでしょうか。

さて、私が1970年代に通った首都圏の小学校では、4年生から6年生まで鼓笛隊が必修でした。

運動会が近付くと、放課後は来る日も来る日も鼓笛隊の練習になりました。

運動会当日は、午後一番の鼓笛隊ドリルだけではなく、入場も退場も鼓笛隊が伴奏しました。

この時期は、新住民しかいない多摩ニュータウンの夏祭りにも、地元の小学校が鼓笛隊を出したようです。

それだけ盛んだったのです。

しかし私の出身校では、みっちり鼓笛隊を実施したのは1985年の運動会までで、1986年の運動会では鼓笛隊ドリルは廃止、鼓笛隊は入場の伴奏をしただけでした。

1987年の運動会では、鼓笛隊そのものをやめていました。

1990年代に鼓笛隊を続けた小学校は、自治体全体で鼓笛隊に取り組んでいる地域だったと思われます。

秋の交通安全パレードなどで、全小学校が学校ごとにコスチュームの色を変えて一斉に地域を練り歩いた、という話をよく聞きました。

しかし、それも20世紀のうち。

少子化で6年生が減ったせいなのか、楽器の音に苦情が出るようになったせいなのか、鼓笛隊をする時間があるのならコンピューターや英語の授業をしたいせいなのか分かりませんが、今世紀に入ってからほとんどの学校・自治体で鼓笛隊をやめて行ったと思われます。

鼓笛隊というものが、1960~70年代の流行りであったことが分かります。

本会が推奨している児童映画と同時期なのですよね。

福島県の教育は、鼓笛隊だけではなく清掃指導も称賛に値します。

理科室なら理科室の清掃当番(学級別ではなく、通学班のように1~6年生混合)が交替する時、前任の班は隊列を成して退場。後任の班は同じく隊列を成して入場。つま先を一線に揃えます。徴兵制度があった頃の西ドイツは、新兵訓練でつま先を一線に揃えさせたと言います。

福島県の小学校の特徴として、20世紀的な集団・規律重視があると思います。

全国の教育現場は福島の教育現場に学べ、ですね。