昭和後期こどもの歴史研究会

平成時代の社会変化で、その直前の昭和後期こどもの歴史は忘れられています。お金にならないため、企業も投資したがりません。人間の幸福感の問題として、昭和後期のこどもの文化を、現在のこどもたちに伝えていく努力をしたいです。昭和後期のこどもの文化に幸福を感じる現在のこどもを、一人でも育てられたら嬉しいです。

『ともだち』(1974年)を見て(深谷シネマ日活児童映画週間にて)

聞いたことがない映画であった。

とは言え、見始めたら感じるところが多くあった。

先日、私が福島市野田児童センターのこどもたちに聞いたように、私がこの映画のどこを古いと感じたか述べてみよう。

一つ。フィルムが大分痛んでいる。カラー作品であり、校庭の向こうに首都高速道路が走っているから、高度経済成長後の作品であることは分かる。

二つ。学校施設が古い。校舎は木造。私の出身小学校は、私が入学した1973年には、木造から鉄筋に建て替え作業中であり、校庭はプレハブで溢れていた。また、児童用の机が左右に長くて、二人で共用するようになっている。「おとうさん、おかあさんの子供時代を調べよう!」では、脱脂粉乳の給食シーンで、この二人用の机が出て来る。

三つ。こどもの家庭のテレビが、白黒であること。四本足で立てるタイプで、1960年代独特のものである。我が家がカラーテレビを購入したのは、世間よりも少し遅くて1976年であった。我が家でも、この映画が制作された時期には、親が1964年東京オリンピック時に購入した白黒テレビを見ていた。

四つ。こどもがおやつに、瓶の牛乳を飲んでいる。瓶の牛乳は、5月22日(金)にフジテレビで放映された再現ドラマ「連続企業爆破事件40年目の真実」において、1974年の時代考証の見せ場として使われていた。

反対に、現代と変わらないものを挙げてみよう。

一つ。こどもの顔が変わらない。福島市野田児童センターのK君が、「こどもの顔が渋い」と言ったのとは相反する。しかし、サッカー少年は私が2013年に臨時的採用で教えた小学校5年生Y君に似ているし、喘息の女の子は同じ学校にいた6年生A子さんに似ているし、サッカー少年の連れは私が2010年に臨時的採用で教えた6年生Y君に似ている。この映画に出演した子役たちは、私よりも4つ年上なのだが、そのような先輩世代の6年生の頃の顔が、私とは親子ほども年が離れた現在の6年生の顔と変わるものではないということが、一種の文化ギャップになって押し寄せた。

二つ。少年たちが行うハイタッチ。私も臨時的採用で小学校教員をしていると、少年たちのハイタッチ攻めに遭う。40年以上前の少年たちと、現在の少年たちとが、同じ好意表現をしている。顔のことと合わせて考えると、この40年間でこどもたちの内面は変わっていないであろうと推測できる。

しかし、どこか違う。その違いは、こどもたちの中にあるのではなく、外にあるのではないか。心理学は人間の中を扱い、社会学は人間の外を扱うが、昭和後期こどもの歴史研究は、社会学の研究になるであろうと考えることができる。

個人的に笑えたのが、こどもの家族が団欒している場面で、白黒テレビから流れて来た歌である。

「♪僕らの教室、愉快な仲間、楽しい教室、元気な仲間~!」

この映画は再現映画ではないわけだから意図的な時代考証はしない。しかし、上記の歌は後年に作られた再現映画であっても、1974年の時代考証として使われるものであろう。