大いに「昔のこども」になろう
福島市野田児童センターを再訪した時、少々気になる話を聞いた。
『ガキ大将行進曲』を見た団塊の世代の老夫婦は、「山形県の米沢の神社で、秘密基地を作って怒られた」思い出を、懐かしく語ってくれたそうである。
1969年生まれの男性指導員が、「小学校6年生の時、この作品を通っていた小学校の体育館で見せられた」思い出を懐かしく語ってくれたそうである。
しかし、こどもに感想を聞いても、これと言った感想が出て来ないらしい。
体験がないから、感情移入ができないのかもしれない。
『ガキ大将行進曲』が制作された1979年は、ガキ大将ブームであったように思える。
東京都世田谷区に羽根木プレーパークが開設されたのが1979年であった。
「俺はあばれはっちゃく」第13話「暴れキューピットマル秘作戦」で、私と同い年の吉田友紀くん演じる桜間長太郎が、下の学年の子を相手にプレーリーダーをして見せたのも、1979年であった。
ちょうどコンビニエンスストア・ファストフード・ファミリーレストランに象徴される消費社会が到来した時期であり、当時の大人世代が豊かな社会に育ったこども世代にガキ大将というものを伝えようとした姿勢が伺える。
では、親世代になった1966年生まれはこども世代にガキ大将を伝えようとしているであろうか。
していないように思える。
こどもと一緒に消費社会を楽しんでいる人が多いように思える。
1966年生まれで、現在のこどもに対して影響力のある創作者も、ガキ大将を賞賛はしていない。
例えば、漫画家の森田まさのり氏が、小学生主人公のガキ大将漫画を描くなど考えられるであろうか。
こどもがガキ大将作品に対して「俺たちと違う」と言ったとしたら、それは誰が与えたのかを考えない発言となる。
「俺たちが与えられているものと違う」と発言するのが正解である。
こどもに高校生主人公の青春作品ばかりを与える創作者の責任は大きい。
1966年生まれは、バブル世代とも呼ばれるが、この世代の多くは70年代こども文化の影響などは大して受けておらず、80年代後半の派手で豪華なバブル期青年文化の影響を受けたということなのであろうか。
文部科学省は、「今のこどもには直接体験が少ない」と言うものの、その直接体験の具体例としては、「トンボを捕まえた体験」や「日の出を見た体験」を指している。
「秘密基地を作った体験」も、直接体験の内に含めたい。
大いに「昔のこども」になろう、と提唱したい。