昭和後期こどもの歴史研究会

平成時代の社会変化で、その直前の昭和後期こどもの歴史は忘れられています。お金にならないため、企業も投資したがりません。人間の幸福感の問題として、昭和後期のこどもの文化を、現在のこどもたちに伝えていく努力をしたいです。昭和後期のこどもの文化に幸福を感じる現在のこどもを、一人でも育てられたら嬉しいです。

嫌いだ!友達と仲良くなれる消費社会

「平成と言う時代には、東日本大震災の後、別の時の流れがあり得たはずではなかったか-。消費社会という巨大な歯車が静止した間、別の可能性を模索し、生き方を見直した人もいた。でも、その歯車は再び回り始めた。前よりも強く。」

朝日新聞1月5日(金)2面「平成とは-第1部 時代の転換」は、以上のように切り出しています。

今までの私の読書によれば、消費社会が始まったのは1970年代半ばで、1980年代に勢いを増し、1996年には堤清二さんがその危険性を指摘したものです。

同世代と距離を取っていた私は、中学校2年生だった1980年には、消費社会を歓迎する同世代の姿を見て、「この人たちが社会の中堅になったら、どういう社会を作るのだろうか?」と不安を感じたものです。

私の不安は、的中したものと思われます。

最近の株価上昇は、バブル期の再現を夢見たもののようです。

バブル就職した私の同世代は、1970年代に心の源流はなく、それから15年後のバブル期に心の源流があるようです。

1980年代の消費社会の急流と、それが頂点に達したバブル期を否定しなければ、あの安らかだった昭和後期の日々を取り戻すことはできないと考えます。

東日本大震災の後、消費社会が停止したことは記憶に残っています。

地方から高速バスで東京に帰ると、夜の東京は電気の濫用を避けてすっかり落ち着いていました。

渋谷から木星が見えると話題にもなりました。

石巻の地方紙は、カレンダーの裏にマーカーによる肉筆で号外を書き、パソコンがなくても文書作成が可能であることを示しました。

「がんばろう日本」とは、何を頑張るのか、保守系と思われる人に限って声高に唱える「がんばろう」とは何を目指した頑張りであるのか、当時の私には見えませんでした。

しかしその後安倍政権が誕生し、原発存続政策を打ち出し、2020年東京オリンピックを誘致するに及んで、何を目指した頑張りであるのかが見えて来ました。

消費社会の維持を目的とした頑張りなのです。

自民党が、安倍さん以外の指導者が台頭することを抑え込むのは、一つには消費社会の維持・存続という共通目標があるからなのです。

中学時代から消費社会を嫌っていた私は、日本の支配層たちが消費社会をこれほどまでに死に物狂いで守ろうとするとは思いもよりませんでした。

バブル期の経験者たちが、これほどまでにバブル期に愛着を持っているとも思いもよりませんでした。

そうして、世界もそれを応援しています。

安倍さんが、2016年リオデジャネイロオリンピックスーパーマリオの真似をして受けたのは、世界が日本のお金と商品を愛していることが分かります。

東日本大震災を経て、日本人が一つだけ学習したことがありました。

「日本で欧米型犯罪は起きていない」ということです。

ニュージーランドの大地震でも被災地では掠奪が起きており、もし日本に欧米型犯罪が入って来ているのなら、被災地ではとっくに掠奪が起きているはずなのです。

被災地で頻発したのは、むしろ避難した農家に対する空き巣狙いだったのではないでしょうか。

1970年代までに衣食住の問題は解決したものとし、それ以上の資本主義の発展はもはや求めない-私の同世代を含めた若い親世代が、こども世代に伝えないことを伝えて行きたいと考えます。

そのこどもたちが大きくなったら、消費社会をいいものとして親から教わった同世代多数派に、異議を唱えられるようになると思われます。