上映会の準備を始めていきます
2016年8月21日(日)は、『ガキ大将行進曲』に思いのある方や映画の製作に携わっていた関係者が集まって、濃密な上映会となるように準備していきます。詳細については随時このブログで報告します。
『ガキ大将行進曲』の光男役の難波克弘さんにゲストとして参加していただければと思い、お声をかけました。現在アメリカ在住で、今回の上映会には参加できないのですが、今後日本へ行く予定ができましたら、その時期に上映会を実施し、参加していただければいいな~と思っています。
少年と心身の成長と経済成長と
福島市野田児童センターまつりに行って来ました。
6月12日(日)でした。
児童センターまつりは、遠い未来のように思っていました。
上映会だけ行って、その場限りの旅人に終わりたくないと「来年6月の児童センターまつりに参加したい」とセンター長に申し上げたのが、昨年11月の再訪時でした。
「シャボン玉コーナーを東京の人に担当してもらっており、前例がある」とのお返事でした。
ただ、私が担当した「靴飛ばし」コーナーは閑古鳥。
隣の的当てコーナーが、特に努力をしなくとも、常に行列ができていたのと対照的でした。
「靴飛ばし」をスタンプラリーの一環にでも位置付ければ、もっと多くの来客があったのではないかな、と思います。
昨年11月から7か月が経っており、こどもは大きくなっていました。
「靴飛ばし」コーナーでお客を探していたら、右斜め下に視線を感じました。
私がそちらのほうを見たところ、上映会時に「子役の顔が渋い」と発言したK君がいました。
そうして、K君が隣のコーナーで的当てをしている姿を見て、投球の力が強いことにびっくりしました。
4年生になり、急に体力が付いたのですよね。
K君が「これから野球の練習がある」とそそくさと帰って行くのを見送り、もし1年後に会ったら見違えっているだろうな、と思いました。
ずっと見ていればあまり感じないのかもしれませんが、たまに会って急にこどもが成長していると、自分が置き去りにされた感じがします。
一方、私に焼き鳥を差し出した4年生のA君。
私はA君を初対面かと思いました。
しかし、A君は昨年の上映会に来てくれており、「少年が山登りする映画を見た」と語りました。
K君のように目立った言動があったわけではなかったので、私はA君に気付いていませんでした。
ここでは、「少年」という単語選択に注目すべきでしょう。
横文字が氾濫し、感覚的な言葉が横行するこの現代で、あえて「少年」という漢語を選択したところを見ると、登場人物たちを「少年」という言葉で表すのが相応しい要素があったのでしょうか。
「少年探偵団」と言うように、「少年」という言葉は平成生まれの幼少期に対して使うのではなく、昭和生まれの幼少期に対して使うのが相応しいとも考えられます。
「少年」の成長イメージと、経済成長のイメージを重ね合わせられた、と解釈するのも考え過ぎではないような気もします。
経済成長期にたまたま自分の成長期が重なった人は、自分の成長期に思う存分自分の「少年」性を発揮できる、とも勝手に推論できますよね。
バブル世代の文化的優越感?
朝日新聞5月21日付「耕論」で、「演歌は日本人の心か?」というテーマで有識者が意見を述べていました。
朝日新聞社がインターネットで本会ブログを見て、今回の「耕論」を企画したわけではありませんよね。
『創られた「日本の心」神話』の著者である輪島裕介さんも意見を述べていましたが、それ以外に音楽評論家のスージー鈴木さんの意見が目を引きました。
鈴木さんは、私と同じ1966年生まれ。
小学校6年生の時にサザンオールスターズに出会ったそうです。
私の記憶とも重なります。
しかし、「47抜きは、西洋の音階に慣れていない日本人にとって歌いやすい」「5音音階に慣れ親しんだ人たちは付いて行けない」という意見には、違和感を抱かざるを得ませんでした。
日本の土着の5音階よりも西洋の7音階のほうが優れている、という意識がこの意見の前提にあります。
しかし、バリエーションが豊富になること以外、5音階よりも7音階のほうが優れている理由については語られていません。
私は、もの悲しいメロディーラインと、言葉で心情を説明し尽そうとする文学性とが好きで、演歌を支持しています。
日本流の洋楽は、騒々しいのと、歌詞が感覚的で軽いのと、根底に欧米崇拝があることなどから、私としては支持していません。
かつて朝鮮王朝では、偉大な中華文明を生み出した漢民族に同化することが文明化の道であると信じられていました。
7音階崇拝も、それと同じ理由であるように思えるのです。
鈴木さんが今年50歳になる感慨を語られるのであれば、少年期に受けた欧米崇拝の影響を冷静に再評価して欲しいものです。
私としては、演歌の欠点として歌詞及びその作品世界があると思います。
多くは、やくざや風俗など社会的少数派の、決して純情とは言えない中高年の恋愛感情を歌い込んでいます。
これでは、若い世代が受容するとは思えません。
演歌のメロディーラインで、童謡を作ってみてはいかがでしょうか。
例えば少年の友情をテーマにし、より日本的に個人よりも集団の価値を強調する、という作品が考えられます。
演歌というジャンルが、60~70年代の放送局ディレクターが企画したものとは別のものになる可能性があります。
演歌は日本人の心
小学校の先生が言っていました。
古臭い歌、中高年向けと思われる歌を小学生に聞かせたら、「やめてよ、演歌」と言われるそうです。
演歌が何かの象徴として偏見の目で見られていると感じました。
「演歌は日本の心」と言われます。
その一方で、洋楽を志向するJ-POPからは仲間に入れてもらえなかったと言われます。
しかし、輪島裕介『作られた「日本の心」神話-「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』(光文社、2010年)を読んでみると、そうした理解は、必ずしも史実ではないことが分かります。
演歌の起源は、明治時代・大正時代の政治風刺にあると言われますが、当時の演歌と、現在の演歌とでは別のものを指しているようです。
現在の演歌は、昭和初期に成立したレコード歌謡にその起源があるようです。
けれども、成立から少なくとも昭和30年代までのレコード歌謡には、演歌の要素はなかったようです。
現在の演歌歌手よりも一世代前のレコード歌謡歌手である藤山一郎、淡谷のり子、東海林太郎は西洋音楽を身に付けており、後年の演歌にも好意を持っていなかったということです。
昭和30年代の代表的な歌手である三橋美智也の歌にも、演歌の要素はないようです。
演歌という言葉がジャンルとして使用され始めたのは1964年。
演歌の新作がいくつも発表されるようになったのが1971年。
日本の経済成長から取り残されたようなやくざ・水商売・流しの芸人を主人公にしているから、日本的であり民衆的なのだそうです。
それも演歌の流行が続いたのは1980年代半ばまでで、到底音楽ジャンルとして定着したとは言えず、20年という流行の寿命から考えたら演歌はニューミュージックなどというのと似たり寄ったりだそうです。
私が物心付いた時期にはテレビで演歌が大量に流れていたため、演歌が日本の心であっても違和感はなかったのですが、ラジオ局やテレビ局のディレクターが仕掛けた結果として演歌が生まれたということを初めて知りました。
仕掛けの不自然さの反動で、流行が去ってからの世代には演歌の評判が悪いのかもしれません。
そうして、21世紀に入ってから、1960年代から1980年代にかけてのレコード歌謡を一括した用語が提唱されているそうです。
昭和前期・中期のレコード歌謡は「昭和歌謡」ではなくて、なぜ昭和後期のレコード歌謡だけが特別のジャンルを定立されるかは疑問の余地があるようですが、昭和後期のレコード歌謡には前期・中期とは異なる特徴があるようです。
昭和前期でも中期でもなく、昭和後期を眺めようとする本会の視点に妥当性はあると思われます。
もし一生同じ年齢でいられるなら17歳でいたい?
見たわけではありませんが、話を聞いていると新作の「仮面ライダー1号」は、高校舞台のような感じがします。
「地獄先生ぬ~べ~」のテレビドラマ版のように「今回は舞台を高校に改めまして」というようなものではないようですが、子役が出演するような作品にはしないという意思さえ感じます。
私が小学校1年生の時「少年仮面ライダー隊」が登場し、当時の私でもこれほどまでに子役で塗り固めることに違和感を持ったことを考えると、当時と今とでは社会が違うと感じます。
しかし、よく考えてみると、小学生主人公を高校生主人公に作り替えることはパロディーも含めてよくありますが、高校生主人公を小学生主人公に作り替えることはあまりありません。
「それゆけレッドビッキーズ」を高校野球物語に作り替えることは考えられますが、「ルーキーズ」を少年野球物語に作り替えることは考えにくいですよね。
「どういう青年になるのであろう」はあったとしても、「どういう少年だったのであろう」はあり得ないのでしょうか。
確かに少年時代の物語はあまり想像力を必要としませんよね。
しかし想像力を駆使するから未来の物語に魅力があるのだとすれば、高校野球物語をプロ野球物語に作り替えたくなるはずです。
あまりそういうことがないことを考えると、やはり多くの人の理想が高校時代に込められているとは考えられませんか。
私はそういう気がします。