昭和後期こどもの歴史研究会

平成時代の社会変化で、その直前の昭和後期こどもの歴史は忘れられています。お金にならないため、企業も投資したがりません。人間の幸福感の問題として、昭和後期のこどもの文化を、現在のこどもたちに伝えていく努力をしたいです。昭和後期のこどもの文化に幸福を感じる現在のこどもを、一人でも育てられたら嬉しいです。

教師の勉強会の飲み会に参加

本会の事務長のお誘いで、僕も教員採用試験の勉強会に参加しました。
 
僕は民間企業に働いていますが、教師を目指しています。ただ、本業の仕事量が増え勉強をする時間がなかなか取れず、経済面のこともあり、思い通りに事が進まない状況でしたので、勉強会に参加できたのは収穫でした。すぐには結論は出なかったのですが、これからどういう選択肢があるのか、方向性を考える上で参考になる意見をいただきました。
 
甥っ子がいるものの、身近にこどもたちと接する機会が少ないので、教師になれば、目の前にいるこどもたちとガッツリ向き合うことができ、本会の活動にもプラスとなります。こどもの心について理解するには、本の知識だけでは限界があり、やはり実際にこどもたちと交流した方がいいですね。
 
事務長の記事に書いてありましたが70年代の話もしていました。1977年の「サタデーナイトフィーバー」の影響で、「フィーバー」という言葉が定着しました。それまではその意味では一般的に使われてなかったようです。その1年後の1978年に、小学校が舞台のドラマ「熱中時代」が放映され、子役の原田潤くんが主題歌「ぼくの先生はフィーバー」を歌っていますね。今ではパチンコ用語っぽい感じがしますが、70年代に定着した言葉は多いです。
 
今回の「紅白歌合戦」に初出場のエレファントカシマシ のボーカル、宮本浩次さんは、小学生の時、「NHK東京児童合唱団」に入団していました。1976年の10歳の時、NHKの『みんなのうた』で、「はじめての僕デス」を歌っています。歌詞は、70年代の平均的な小学生の男の子の自己紹介で、その当時の情景が浮かんできます。ドリフターズ加藤茶さんもカバーしていて『8時だョ!全員集合』で歌っています。僕は、岡浩也さんが歌っているレコードも持っているので、3人による歌い手を聴き比べてると面白いです。
 
70年代は、こどもが歌い手となっている曲がヒットしているので、昭和後期の文化の一つですね。