必要なのは授業研究だけではない
私が博士後期課程の指導教員を探していた頃、神戸の私立大学で教授をしていた大塚英志さんにメールを送って返事をいただいたことがあります。
「1970年代こどもの実態論を研究したいのですか。先行研究は阿部進さんですね。ただ、世代論では博士論文は書けませんよ」と助言されました。
先日その阿部進さんが亡くなり、朝日新聞9月9日夕刊付け「惜別」に「カバゴンはこどもの味方」という文章が掲載されました。
最晩年とも言える今年の1月にも講演を行い、「学校が知らない新しい『現代っ子』がいるはず。それを書いた本を読みたい」と語ったそうです。
まさに私がその本を書きたいのです。
そのような現代っ子は、四半世紀も前に顕在化していると思います。
「ブルマーを売るか売らないかは私が決める」というような女子高生と、裁判所がそういう女子高生の言い分を「新しい人権」として支持することを恐れる学校。
その構図が小学生にまで降りて来たら、それは「学校が知らない新しい『現代っ子』」になると思います。
博士後期課程の指導教員を探していた頃、「こどもの社会化」を専門にしている中国学院大学の教授からも返事は頂いていたのですが、「私とは違う」と回答されました。
中国学院大学の教授は、「学校におけるこどもの居場所作り」を専門にされていたようです。
学校の中と外とで、こどもの顔が違うことをご存知ないようです。
変化の遅い現代この40年時間が停止
国立科学博物館が、カラーネガフィルムを未来技術遺産に登録するそうです。
朝日新聞9月6日付け夕刊「素粒子」でも、「白黒時代の記憶もそう遠くはないのに、アナログ人間ももはや遺物か」と論評されています。
昭和40~50年代の文化が無視・軽視されることが多い中で、例外的に人々が高い関心を示すのは、カラーネガフィルムなのですよね。
それからレコードも。
どちらも記録媒体に過ぎないと言ってしまえばそれまでなのですが、人々はその記録媒体に高い関心を示します。
白黒フィルムに写っている小学校の風景には次代に伝えるべき価値はあっても、カラーネガフィルムに写っている小学校の風景には、次代に伝えるべき価値はないとされてしまっています。
いわく、「カラーネガフィルムに写っている小学校の風景は、今と変わっていない!」。
小学校の風景は変わらず、ただ記録媒体だけが変わったのでしょうか。
それなら、当時の風景をデジタルカメラで写すことができたなら、あるいは逆に現在の風景をカラーネガフィルムで写すことができたなら、いつの時代の写真であるかは判別できないことになりますね。
映画を製作して観たいけど
先日教え子に「先生のつうしんぼ」を見せた時も、趣旨が通じていないな、と感じていました。
「この映画に出て来る子役たちは先生と同い年」と言っていたものが、こどもたちには「先生はこどもの頃子役をしており、先生が子役として出演している」と取られていたのです。
子役として出演していたなら、DVD化を許可する側に回りますよね。
その映画の関係者でもないのに、その映画を見せたいというのが、分かりにくかったかもしれません。
自主制作映画に取り組んでみるべきですかね。
平成に入ってからの児童文学作品でも、実写化してみたい作品はあります。
例えば、『夏の草-The Friends』(1994年)。
ただ、ここで登場するサッカー少年は、Jリーグに憧れているのではなく、実業団に憧れている、とイメージを変えなければならなくなります。
果たしてそういうイメージ改変を、原作者が許してくれるかどうかと思うのです。
原作から自主制作すれば、そういう問題も起こらないでしょうが、相当時間が掛かりそうです。
こどもに短編の原作を考えてもらい、それを2~3分の映画に纏めるところから始めましょうか。
昭和40~50年代のこどもの文化を伝えるためには
前記事の事務長の文章を読み、今までの活動を振り返ると、今のところ、本会の趣旨が今のこどもたちに浸透していないと感じています。昭和後期のこども文化のバトンを受け取れる場作りをしたいのですが、試行錯誤中です。
全国各地で児童映画の上映会を実施していますが、あくまでその当時上映された既成作品を流しているだけです。もちろん、その活動も効果的ですが、自分たちで脚本をし、子役をキャスティングしたオリジナル作品ではないため、本会の活動の訴求力がやはり弱いと感じています。「上映会を実施している」と話したら、相手の方が、「自分たちで映画を撮っているんだね」と思い込んでいたことが何度もありました。
ある教師の方が、「昭和後期こども文化をただ伝えようとするだけでは受け身になるだけ。今のこどもたちと一緒に映画を作る参加体験型の方がいいのでは」と言っていました。
ただ、昭和40~50年代のこどもの文化とは何か?と聞かれたら、あまりにも幅広くて答えられないので、継続審議中とします。こども文化と一口に言っても、児童映画、児童文学など、大人がこどものために提供した児童作品、こどもの生活を支える衣食住や価値観、遊びを通じたこどもの活動など、多種多様です。一つ言えることは、昭和後期の文化と昭和30年代以前の文化がごちゃ混ぜになっている状況をまずは整理しないといけませんね。
紙芝居は、テレビの普及で昭和30年代中頃には既に壊滅状態でした。でも、今では多くの人が保存活動に力を入れており、現在でも紙芝居ならではの良さを引き出した作品が登場しています。例えば、毎月1巻ずつ定期刊行紙芝居が出版されたり、教育現場にも活用されています。
それにひきかえ、昭和40~50年代に活発に上映された実写児童映画・ドラマは、一部の作品はDVD化されてはいるものの多くの作品は現在観ることができません。しかも昭和後期のこども文化黄金期を彷彿とさせるような実写児童映画・ドラマは現在ほぼ作られていませんし、教育現場にも活用されていません。
次代に渡すバトン
朝日新聞8月27日(日)付けに、「平成とは」という記事が掲載されています。
「次代へ渡し損ねたバトン」
「時代を語り 刻む意義」
「さらば『昭和』若者は立った」
「少子高齢化・格差・非正規雇用。20代官僚らは、危機感をネットで発信した」
「分かっていたのに手を打たなかった年長世代 『冷戦後28年間、敗退続き』」
昭和と平成は、天皇の代替わりによる時代の区切りであり、天皇の代替わりと社会変化に因果関係はない、としながらも、平成という時代は、大きな社会変化とぴたりと重なったそうです。
世界規模では、冷戦終結と同時にグローバル経済が開化し、IT革命が進行したとのことです。
国内では、バブル崩壊と55年体制の終わりとが同時に訪れたとのことです。
そうして、人口減少が急ハンドルを切ったとのことです。
右肩上がりの経済、会社丸抱え人生、両親とこども2人の標準家族、分厚い現役世代に支えられた社会保障、そんな「昭和の前提」が崩れたのに、日本は有効な手を打たなかったそうです。
本会では、こどもの歴史に限って論じますが、それでも1980年代半ば過ぎには現在のようになる予兆が見えており、私はそれを回避するよう手を打つべきだと述べていました。
1987年に臨時教育審議会が「情報化」「国際化」「個性重視の原則」を打ち出しましたが、そこで提案されたのは、「そういう新時代に適応しましょう」という主張であったのです。
「平成とは」を執筆した朝日新聞の編集委員は、講師を勤めている大学の2年生に「平成」という題で作文を書いてもらったところ、ある女子学生が
「平成しか知らない私たちの経験も、いつかは歴史教科書の数ページに纏められてしまうのだろう。だとすれば、私たちしか知らない、そのページからはみ出した出来事を心に刻んで正しく伝えたい」
と書いたそうです。
本会もそうです。
今から10年前には、こどもたちがいわば洗脳されており、昭和後期を伝えるのは難航しました。
「♪昭和無理、どこから見ても平成がいい。」
インシャツをしているだけでも、こどもたちの間から抗議の声が上がり、まるで思想犯でも見るかのような扱いを受けました。
あの時期のこどもたちに昭和後期の児童映画を見せようとしても、ボランティア団体から「そんなことよりも、紙芝居でも見せたらどうか」とただ昔風であるだけの行事に取り換えられそうになったこともあります。
紙芝居は、昭和30年代以前のまだテレビもない時代に行われたものであり、本会が次代に渡したいと思っているバトンではありません。
本会が現在のこどもたちに渡したいと思っているバトンは、昭和40~50年代のこどもの文化なのです。
私は、この時期のこどもの文化とは、大正時代に一部の中間層で開花した活字メディアによる童心主義を、テレビを通じて全国民に拡大したものであると捉えます。
当時行われていたことで今行われていないことは復活を検討してもいいのでは。「時代の流れ」で捨てたものの中に、どういう宝が埋もれているか分かりません。
当時行われていなかったことで今行われていることは中止を検討してもいいのでは。「時代の流れ」であろうが何であろうが、新しさ以外にこれと言った値打ちのないものもあると思います。
あまりにも多岐に渡るため、ここでは具体的に述べませんが、今のこどもが昭和後期のバトンを受け取れる空間を作りたいものだと考えています。
ページからはみ出した出来事を伝える作業ですね。
現代っ子が性に目覚めていることを隠すために
埼玉県男女共同参画センターで、角田聡美他『ブルマーの社会史-女子体育へのまなざし』青弓社2005年と山本雄二『ブルマーの謎-<女子の身体>と戦後日本』青弓社2016年という2冊の本を手にしました。
借りる時に多少司書の目が気になる本ではあるのですが、勉強になりそうなので借りて読んでみることにしました。
1960年代半ばにブルマーが普及する過程も、1990年代を通してブルマーが消滅する過程も、学校にも衣料品メーカーにもほとんど資料が残っていないそうですね。
少ない資料の中で、著者の分析力には敬服しました。
本が売れなくなるといけませんから、詳しい内容は書きませんが、私がかねて警告して来たことを教育関係者が無視して来たことを感じました。
「こどもの実態」です。
1984年のTBSドラマ「うちの子に限って」では、下校中の小学生の男の子が校門を出るなり学校にあかんべ―をして、女の子と手を繋いで繁華街に遊びに行く様を描いていたのです。
バブル期の女子高生たちが、テレクラブームを通じて軽い売春に馴染んで行くことが予想付かなかったのかな、と思います。
学校の外で性と馴染んだこどもに対して、学校関係者としては「危険な大人と関わらない」よう指導することくらいしかできないのですよね。
私はむしろ、こどもの中から性文化を嫌う子を発掘して、そういう子をリーダーに据え、性と馴染んだこどもを追い込んでいくことをお奨めします。
学校関係者のみならず、教育学者さえもが学校の中の出来事にしか関心を示さない中、「こどもの実態」論はあまりにも少ないです。
今回読んだ2冊を先行研究とし、この2冊では未解明な点をいずれ提起したいと思います。
因みに1993年当時発足したばかりのJリーグのユニフォームの丈はそれほど長くなく、1996年に顕著に長くなったとありました。
愛玩は室内で
私の勤務校の5年生が、近視の眼鏡を掛け始めました。
野球少年で、決してガリ勉をするような子ではありません。
1980年代に、裸眼視力が1.0未満の小学生は、20%前後で推移していたそうですが、2007年以降この10年間は30%前後で推移しているそうです。
電車の中でも、駅名表示を見る時に目を細くする小学生が目立ちます。
勉強のし過ぎが原因でないのなら、ゲームのし過ぎが原因だろうか、と一般的には考えられます。
しかしそれであるならば、ゲームがこどもの遊びに定着してから30年が経過するわけですから、「眼鏡を掛けた小学生は遊びが好きな子」というイメージが定着していてもおかしくありません。
昨夜、TBSで「生命38億年スペシャル―人間とは何だ」で興味深い説が提唱されていました。
中国のこどもは90%が近視であり、大学の入学式では新入生の全員が近視の眼鏡を掛けていた、というケースも報告されているそうです。
近視は眼球の奥行きが長くなる病気である、という捉え方をして、鍼で眼球の血行を促すという治療も行われているそうです。
近視の原因として考えられているのが、日光浴の不足。
中国では大気汚染が深刻で、こどもを外に出さない傾向があるそうです。
日本でも、オゾンホールが言われるようになってから、日光浴を忌避する傾向がありますよね。
野球少年であっても、小麦色が良しとされていた時代ほどには、外に出ていない可能性があります。
「美白」な小学生が近視の眼鏡を掛けていたら、勉強をしているにせよ、ゲームをしているにせよ、居場所は常に温かい室内であるように見えます。