昭和後期こどもの歴史研究会

平成時代の社会変化で、その直前の昭和後期こどもの歴史は忘れられています。お金にならないため、企業も投資したがりません。人間の幸福感の問題として、昭和後期のこどもの文化を、現在のこどもたちに伝えていく努力をしたいです。昭和後期のこどもの文化に幸福を感じる現在のこどもを、一人でも育てられたら嬉しいです。

女性の良きパートナー

今日、勤務校の3年生の授業で、私がT君のことを「T君」と呼称したら、こどもがざわつきました。

T君いわく、「なぜ俺だけ“君”付けなの?」。

以前は男の子に“君”付けしていた年輩の男の先生も、最近は“さん”付けしています。

学習支援で入っている年輩の女性は、「“君”でいいんじゃありませんか」と言いました。

1年生の授業で、N君のことをどう呼称していいか分からず、「N」と呼び捨てを口走ったら、障害児の補助で入っている年輩の女性の先生が「呼び捨てをしてはいけません」と敏感に反応しました。

「N君」と言い直したら、すかさずこの女の先生が「この学校では男の子にも“さん付け”をしています!」と追い打ちを掛けました。

年輩の女の先生で、低学年を教えている人にはありがちなのです。

私は、教員採用試験を受けている方から、「あなたが、喧嘩をできるような男の子を育てようとしていることは分かる」と言われたことがあります。

喧嘩一つできない現在の男の子は、妙に目付きが優しいのです。

女の子とも仲良く遊べる目付きです。

男の子がこうなることで得をするのは誰でしょうか。

将来の女性の同僚や、将来の配偶者だと思います。

男が威張らなければ、男女が肩を並べて働くことができるし、男が優しければ、家事の半分を分担してもらえるからです。

私は童心ロマン主義の観点から「喧嘩をできるような男の子」を唱えていますが、年輩の女の先生は男女関係の観点から「優しい男の子」を唱えているのであり、議論をしても噛み合うことはありません。

私は、前出の学習支援員の女性に、「自分には男の子の“さん”付けは思想的にムリだ」と述べました。