女性の良きパートナー
今日、勤務校の3年生の授業で、私がT君のことを「T君」と呼称したら、こどもがざわつきました。
T君いわく、「なぜ俺だけ“君”付けなの?」。
以前は男の子に“君”付けしていた年輩の男の先生も、最近は“さん”付けしています。
学習支援で入っている年輩の女性は、「“君”でいいんじゃありませんか」と言いました。
1年生の授業で、N君のことをどう呼称していいか分からず、「N」と呼び捨てを口走ったら、障害児の補助で入っている年輩の女性の先生が「呼び捨てをしてはいけません」と敏感に反応しました。
「N君」と言い直したら、すかさずこの女の先生が「この学校では男の子にも“さん付け”をしています!」と追い打ちを掛けました。
年輩の女の先生で、低学年を教えている人にはありがちなのです。
私は、教員採用試験を受けている方から、「あなたが、喧嘩をできるような男の子を育てようとしていることは分かる」と言われたことがあります。
喧嘩一つできない現在の男の子は、妙に目付きが優しいのです。
女の子とも仲良く遊べる目付きです。
男の子がこうなることで得をするのは誰でしょうか。
将来の女性の同僚や、将来の配偶者だと思います。
男が威張らなければ、男女が肩を並べて働くことができるし、男が優しければ、家事の半分を分担してもらえるからです。
私は童心ロマン主義の観点から「喧嘩をできるような男の子」を唱えていますが、年輩の女の先生は男女関係の観点から「優しい男の子」を唱えているのであり、議論をしても噛み合うことはありません。
私は、前出の学習支援員の女性に、「自分には男の子の“さん”付けは思想的にムリだ」と述べました。